寒がりの心臓
新年を迎えた翌日の晩だった。静寂を切り裂くようにいきなりインターフォンが鳴り、何かと思えばドアスコープの向こうには巴日和が立っていた。「えっ、何事」「寒い寒い寒い! 早く中に入れて!」控えめに開けたドアの隙間から、冬の夜風とともに長身がする…
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ラブラドールのわるだくみ
わたしの恋人はアイドルである。巨大アイドル事務所の中でも『ビッグ3』などと呼ばれる看板ユニットの一角、そのリーダーとして君臨する文句なしのトップアイドル。長い髪は夜空を切り裂く彗星の如く、鋭い眼光は磨き抜かれた刃の如く、深い歌声は滔々と流れ…
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降る福音 説明
凪砂さんとお花屋さんの小さな恋のお話です。【注意】・夢主の元恋人(クズ)を含む、しゃべるモブが登場します。・夢主の生い立ちに関する描写があります。2024年12月15日のイベントにて、このお話のまとめ本を頒布いたしました。BOOTHでも通販…
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降る福音ep
三月の終わり、『ミモザ』の硝子戸の向こう側は一面、薄紅色に染まる。通りを吹き抜ける風はまだ少し冷たくて、それでもどこか心が弾む新しい季節の訪れを感じる春の夜。店の狭い更衣室にある小さな鏡と、わたしはずっとにらめっこをしている。「……なんか、…
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降る福音10
ドアチャイムの音で目が覚めた。ぴんぽーん、なんて可愛らしい音じゃなく、風邪で喉がガラガラのときに歌う鼻歌みたいな、けっこうひどい音だ。この部屋に入居したときから調子が外れたままのそれにわたしはもう慣れてしまったが、店長はここへ来るたび「音痴…
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降る福音9
「……え。さん、お休みなの?」そう言って、彼はきょとんと目を丸くした。とある暑い日の午後だった。日差しが強くて、ひいひい言いながら店頭の花を中へ避難させていたところに、彼はやってきた。黒いキャップを目深にかぶり、長い髪をうなじの辺りでゆるく…
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降る福音8
先輩と付き合っていたのはほんの数か月だった。わたしが高校二年生のとき、くじ引きで割り当てられて入った委員会で、彼は委員長をしていた。わたしは役員決めのじゃんけんに負けたせいで書記になってしまい、集会のたびに議事録を作って委員長に提出しなけれ…
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降る福音7
「あ」大きなショーウィンドウに自分の姿が映り込んだ。思わず声を上げてしまい、慌てて口を噤む。わたしの情けない声は繁華街の大通りの喧噪にうまく紛れたようで、すれ違う人たちから不審な目を向けられることはなかった。(……髪、跳ねてる)耳の横にぴょ…
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降る福音6
なんだか最近、乱くんがぽやぽやしている。窓辺でじっと何かを見つめている白い後頭部は、時折角度を変えてはまたぴたりと動きを止める。かと思うとおもむろにスマートフォンを掲げて、カシャ、と写真を撮った。カメラの先には、今日も鮮やかに咲く向日葵の花…
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降る福音5
「ありがとうございました~」大きな向日葵の花束を持ったお客さんを見送り、店の戸を閉めて振り返ると、なぜか店長がじいっとこちらを見つめていた。目が合う。彼女は神妙な面持ちで「ちゃん」とわたしの名を呼んだ。「何かいいことあったでしょ」「はい?」…
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降る福音4
「乱くん、何見てるの?」不意に手元に影が差した。視線を上げれば、榛色の瞳がきょとんとこちらを覗き込んでいる。仕事で出かけていたはずのルームメイトだった。「……薫くん。おかえり、ずいぶん早かったね」「ただいま。雨でロケが一本中止になっちゃって…
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降る福音3
またね、というその言葉通り、それから彼はたびたび店にやってくるようになった。二回目は最初の日からちょうど一週間後だった。律儀にもスタンプカードをきちんと持参した彼は、わたしが「2」のマスに判を押すところをとても嬉しそうに眺めていた。スタンプ…
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