金色にランタン

※twitter再録

 

 

 

「え、いまなんて?」

キーボードを叩く手を止めて顔を上げる。頭から爪先まで、実直を絵に描いたようなスーツ姿の男の人が、こちらをじっと見下ろしていた。私の敬愛する先輩、兼、何を隠そう最愛の恋人、七海建人さんである。

「ですから明日、少し時間が空いたので、食事でもどうですかと」
「い、行きます!行きます!!」
「……予定は」
「ありません! あってもこじ開けます!」

これは仕事を頑張っている私への神からのご褒美だろうか。今週は任務でいっぱいだと聞いたから、デートは諦めていたのに。神仏は信じない主義だけれど今日だけは感謝の祈りを捧げてもいい。前のめりに返事をすると、七海さんは呆れたように小さく息をついた後で、唇に少しの笑みを乗せた。

「いつも元気ですね、あなたは」

それでは明日、十一時に。短く言った彼の手が、さらりと私の髪を撫でて去っていく。その後ろ姿を見送って、私は再びPCの画面に向き直った。

そうと決まればさっさと仕事を片付けて、早急に帰宅しなければならない。ヘアケアにスキンケア、明日の服のコーディネートと、恋する女は目が回るほど忙しいのだ。

金色にランタン

ひとつ年上の七海さんは、高専時代の先輩だった。エメラルドの瞳と金色の髪がたいそう美しく、背筋をしゃんと伸ばして立つ姿はまるで研ぎ澄まされた一振りの剣のよう。それでいて性格は真面目で誠実、呪術師としての実力も一級品ときたら、どうして惚れずにいられるだろうか。
入学早々、一目惚れに近い形で恋に落ちてから苦節四年余り、彼が卒業するタイミングで意を決して想いを告げ、何がどう転んだのかはわからないが、晴れて恋人の座を勝ち取った。私の執念の勝利と言えよう。

それだけで天にも昇るほど幸せだったのに、七海さんは私のことをそれはそれは大切にしてくれている。あまつさえ、こうして忙しい仕事の合間を縫って二人の時間を作ってくれたりもする。世に言う聖人君子だってここまで優しくはないはずだ。
つまり私は、この目の前の恋人のことが誰よりも何よりも大好きで、だから今日のランチが急な任務によってたった一時間に短縮されてしまったとしても、文句などあろうはずがなかった。

「――すみません、本当はもう少し時間を取れるはずだったのですが」
「いいえ! こうして一緒にご飯を食べられただけで最高ですから、謝らないでください」

心からの笑みを向けると、七海さんの眉間に刻まれた皺が少しだけ和らいだ。事実、テーブルを挟んで向かいあった恋人の姿を矯めつ眇めつ眺め回して、私はすっかり満足していた。うん、真面目な顔もかっこいいけれど、やっぱり優しげにほどけた瞳が一番素敵だ。

「まったく、欲のない人だ」
「だって七海さんの彼女になれただけで、私の願い事はもうほとんど叶っちゃいましたから」
「ほとんど、というのは?」

コーヒーカップを静かにソーサーに戻して、七海さんが言った。ぱちりと瞬きをした私の顔を、面白いものでも観察するような目で見つめている。まさか聞き返されるとは思っていなかった。

それはぼんやりとして、でも彼と同じ日々を過ごす中で当たり前のように生まれた願いだった。だからこそ形にするのは少し難しい。言葉を探す私のことを、七海さんは急かすでもなくじっと待っていた。ああそういうところが好きだなあ、なんてまた思い知らされる。

「……うまく言えないんですけど」
「構いませんよ」
「毎朝、七海さんが目覚めるとき、世界が少しでも綺麗に見えていたらいいなあって」

途切れ途切れになりながら、なんとか言葉を紡ぐ。七海さんの目が僅かに見開かれた。ちゃんと言えているかな。例えそうじゃなくても、きっと、この人には伝わるはずだ。

「例えば、気まぐれで入ったパン屋さんがとっても美味しかったとか、靴紐がうまく結べたとか、雨上がりに虹が出てたとか、そんな小さな幸せで、ちょっとだけ世界は良いものに見えるじゃないですか」

窓から差し込んだ光に金色の睫毛がきらめく。夢みたいに美しい光景だった。

「七海さんの毎日がそんな風でありますようにって、それが残りの願い事です」

ちょっとクサイですかね。なんだか照れてしまって、誤魔化すために笑ってみせる。七海さんは困ったように、でも少しだけ嬉しそうに眦を下げた。

「神仏は信じない主義では?」
「信じてないですよ。だからこれは、私が勝手に七海さんにかけた願いです」
「私に」
「だって、神様を経由するより本人に直接願ったほうが効果ありそうじゃないですか?」

そう言うと、七海さんはおかしそうに肩を揺らして笑った。結構マジメに言ってるんだけどなあ。まあ七海さんが楽しそうだからなんでもいい。

いつもそうやって笑っていてほしいと思う。
元気でいてください。健康でいてください。美味しいものをたくさん食べてください。夜は穏やかな気持ちで眠りについてください。そんなありふれたことを、全身全霊で願う。あなたがずっと幸せでありますように、って。

「……本当に」
「はい?」
「あなたには敵いませんね」

独り言のように呟いて、七海さんは残りのコーヒーを一気に飲み干した。ちらりと腕時計を見やる仕草に、少しだけ寂しい気持ちになる。楽しい時間はあっという間だなあ。

「七海さん、今日は忙しいのにありがとうございました。戻ったらまた連絡を、」
「おや、おかしいですね」

荷物をまとめて席を立とうとした私を、七海さんの声が制した。その視線はいまだ時計に注がれている。彼のお気に入りのブランドの、いつもきちんと手入れして大切にしている腕時計。

「どうやらこの時計、狂っているようだ」
「え? でもスマホの時計ともちゃんと合って、」
「修理に出したいので、もう少し付き合ってもらえますか」

こちらを向いた彼の瞳が悪戯っぽく光る。
なんてことだ。そんなどこぞの特級術師みたいな顔、どこで覚えてきたんですか。

「……七海さん、いつの間にそんな悪い人になっちゃったんですか?」
「仕方がありません。時計が壊れたので」

真面目な顔で言ってのける七海さんに、私はついに噴き出した。彼がするりと立ち上がって私の手を絡め取る。まったくこの人は、一体どれだけ私を幸せにすれば気が済むんだろうか。

 

 

 


ワンライに投稿したお話を加筆修正したものです。

Title by 天文学