群青に溺没

※高専時代

 

 

 

「ナマエさんてさ、彼氏いんの?」
「ぶッ」
「うわ、きたねー」

空き時間にベンチで並んでジュースを飲んでいたら、なんの脈絡もなく悟くんが言った。私はといえば、今日の晩ごはんは何にしようかな、なんてのんびり考えていたところだったから、あまりのギャップに思わずジュースを吹き出してしまった。
か、カレシ……?

「なあ、いんの?」
「……生まれてこの方いたことありませんが何か?」
「まじ」

悟くん相手に見栄を張っても仕方がないので、素直に白状した。彼はなんだか嬉しそうな声をあげている。失礼な。
しかしその次に飛び出してきた言葉に、私は憤慨することも忘れて唖然とするほかなかった。

「じゃあさ、俺と付き合ってよ」
「………はい?」

群青に溺没

悟くんと出会ったのはちょうど一年ほど前だった。まだ少し肌寒い春の日、校舎の影に隠れるように設置されたベンチから長い足がはみ出しているのを見かけて、声をかけたのだった。

「どうしたの? お腹痛いの? こんなとこで寝てると余計冷えちゃうよ」

その男の子は、ところどころペンキの剥がれた硬いベンチの上で丸くなるようにして目を閉じていた。かなり背が高いのか、折り畳んだ足が収まりきっていない。私が近づいて行くと、繊細な睫毛に縁取られた目がゆっくりと開いてまばたきをした。彼は横たえた体をそのままに、重たげな動作で私を見上げてくる。はっとするほど透き通った青い瞳が美しかった。

私が一瞬見惚れていると、彼はあくびを咬み殺すように顔をしかめてから、至極面倒くさそうな声音で言った。

「……いや、どう見てもサボってるだろこれ」
「え! サボ……!?」

男の子はベンチに体を預けたままぐっと伸びをして、頭の後ろで腕を組み直す。不機嫌な様子で鼻を鳴らす姿は野良猫のようで、確かに具合が悪くて寝ていた感じではなさそうだった。
……こ、怖い子に声かけちゃった。もしかして不良なの? この白髪と碧眼もブリーチにカラコンだったりする? 軟弱な私は怯みながら、しかしとあることが頭の隅に引っかかった。白髪と碧眼……あ、そうか。

「……五条悟くんだ!」

思い出した。そういえば一年生に五条家の跡取りが入ってくると聞いた。彼がそうだったのか。
私が一人で納得していると、五条悟くんはまた面倒そうに頭をベンチに預けて目を閉じてしまった。

「センパイ。五条悟くんは眠いんで、どっか行ってくれる?」

五条悟くんは、どうやらここから動く気がなさそうだった。よくもまあこんな寒いところで寝られるな。しかしいくらなんでも、本当にお腹を壊しやしないか心配になる。なにかないかと思案して、すぐそこに自販機があるのを発見した。

「あの、ちょっと待っててね!」

彼は何も答えなかったが、私は自販機までダッシュすると、温かい飲み物を探した。甘いの平気かな。いかんせん初対面なので好みが分からない。分からないので、とりあえず緑茶とミルクティーを両方買った。

「これ、よかったら飲んで」

目を瞑ったままの彼の顔近くにペットボトルを置く。特に反応はないので、もう寝てしまったのかもしれない。邪魔にならないように静かに離れて、私はそのまま立ち去った。
なんで二本なんだよ、と彼が呟いていたことを知るのは、だいぶ後になってからだった。

それから、校内で出くわすたびに話をするようになった。というより、悟くんはいつもフラフラのらくらしていて危なっかしいので、ついつい世話を焼きたくなってしまうのだった。お腹が空いていそうだったらごはんに誘ったり、談話室で居眠りしていたら毛布をかけてあげたり、彼の好きそうな映画を見つけたらメールしたり、なんとなく寂しそうにしていたら話しかけてみたり。

最初はなんだか警戒していた悟くんだが、そのうち私がどういう人間なのか理解したらしく、彼の方からも何かと声をかけてくれるようになった。買い物に行こう、映画をみよう、あのお菓子作って、宿題教えて、などなど。悟くんはなんでもこなすし、頭の回転が早く物覚えが良かったので、私が役に立つ場面はどんどん減っていったけれど、彼はいつまでも私を誘ってくれた。

 

そうして一年が過ぎて、私はいま、悟くんに告白されたらしい。

「えーーっと……」
「うん?」
「付き合って、というのは」
「俺の彼女になって、ってこと」
「カノジョ……」

それはつまり、恋人同士になるということ? 悟くんと私が?

あらためて、私の顔を覗きこんでいる悟くんに目を向ける。いつもの飄々とした態度に見えるけれど、その目はほんの少しだけ不安げに揺れているような気がした。

いまだに混乱した頭の中で、この一年間の日々が走馬灯のように駆け巡って行く。出会ったときは野良猫みたいにふてぶてしかったのに、いまでは屈託ない笑顔もたくさん見せてくれるようになった。どんどん背が伸びて、少し大人びて、強くなって。でも私を真っ直ぐに見つめる透き通った瞳はずっと変わらない。

ナマエさん、と私を呼ぶ低い声が耳の内側で反響している。いつからだろう、その声を何度でも聞きたいと思うようになっていたのは。それに気づいてしまったら、柔らかそうな唇から目が離せなくなって、もうダメだった。

私はシュバッと音がしそうなくらい素早く立ち上がった。実戦以外でこんなに早く動けたのは初めてかもしれない。

「………む」
「む?」
「無理です!!!!」
「は!?」

ありったけの声で叫んで、私はその場から脱兎のごとく逃げ出した。悟くんが困惑している気配がするけれど、構っていられなかった。私の顔、今きっとすごいことになってる。こんなの見られたくない。

だって、いつの間に悟くん、こんなに格好良くなっちゃったの。

 


野良五条を手懐けたのち、まんまと手を噛まれた先輩。

Title by 天文学