ひとに売る花はない

※七海視点

 

 

 

「あ! おはよー、七海」

任務のために高専に立ち寄った朝、職員室に足を踏み入れた途端に、よく響く明るい声が聞こえた。

「……おはようございます」

声の主にちらと視線をやって短く挨拶を返してから、早々に自席に着く。つとめて事務的に対応したにも関わらず、その女性、ミョウジナマエは、意に介さぬ様子でパタパタと近くに寄ってきた。目を輝かせ、喜色満面の笑みを浮かべて走ってくる様は、さながら人懐こい犬のようだ。

「ねーねー七海、昨日のドラマ見た!?」
「見ていません」
「あの主人公とヒロインがレインボーブリッジでカーチェイスするところ、かっこよかったよねえ!」
「ですから見ていません」
「そのあと急に幼馴染が出てきて、『あのとき苺大福を食べたのは俺なんだ……!』ってまさかの告白してきて、」
「……」

それはいったい何のドラマなのか。
こちらの反応などお構いなしに好き勝手しゃべり散らすところは、彼女の同期のあの人にそっくりだ。いいから早く話を終わらせてどこかへ行ってほしい。そうしないとまた面倒なことに——

「あ! おはよ〜七海ぃ」

……ほら来た。
明らかに男のものと分かる猫撫で声がミョウジさんのドラマ話を遮り、私は思わず眉間を押さえた。そのわざとらしく媚びた語尾からはハートマークでも舞い飛びそうで、気分が悪くなる。

「……おはようございます、五条さん」

仮にも先輩相手であるので、儀礼的に挨拶を返す。軽薄を絵に描いたようなその男は、果たして今日も意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見ていた。肘置きがわりにしたミョウジさんの頭越しに、だ。

「昨日のドラマ見たぁ? 僕は見てな〜い」
「ねえ五条、それってもしかしなくても私の真似してる? 殴っていい?」

意気揚々としゃべっていたところを邪魔されたミョウジさんは、あからさまに機嫌を悪くしたようだった。口はへの字に曲がり、眉間には皺が寄っている。相変わらずコロコロと表情が変わる人だ。そういうところが五条さんを喜ばせているのだと、いい加減に気づいた方がいい。

私はといえば、これから始まるであろう、そして間違いなく自分も巻き込まれるであろう面倒ごとに思い至り、頭痛がしてきたところだ。

「はは、まさか。ナマエより僕の方が可愛いだろ?」
「わかった殴るね」

すかさず五条さんの肘の下から抜け出したミョウジさんが殴りかかるも、ことごとく無限に阻まれている。本気のミョウジさんには悪いが、私からすればただのじゃれあいにしか見えない。とりあえず人の席から離れてやってほしい。

「私は七海とドラマの話してるんだから、邪魔しないで!」
「これから任務の七海クンを邪魔してるのはナマエの方だと思うけど?」
「そっ……そんなことないよね七海!?」
「二人とも邪魔なのであっちへ行ってください」

素直に事実を述べたのだが、ミョウジさんは明らかにショックを受けた顔をしている。もしかして自覚がなかったのだろうか。無邪気もここまでくれば害悪である。
五条のせいで怒られた!と悲鳴を上げて走り去る彼女の背中を、五条さんはけらけら笑いながら見送っていた。茶番を演じるのはいいが、他人を巻き込まないでもらいたいと常々思う。

「あーおっかしー。ナマエのあの顔見た? 傑作」
「……彼女のことが可愛いなら、もっと普通に優しく接したらどうですか」

そして願わくば早く収まるところに収めてほしい。私の平穏のために。

「えー、だって面白いんだもん」
「それも結構ですが、私を巻き込むのはやめてください。迷惑です」
「ま、そのうちなんとかするよ」

心の底からの願いを込めて言ってみたが、この男にはどこ吹く風のようだ。形の良い唇はゆるりと弧を描いたままで、澄まし顔を解く気配もない。
はなから他人の言うことなど聞く人ではなかったか、と諦めかけたところで、しかし次に彼が放った言葉は、私を多少驚かせた。

「それまでは僕のオモチャ、とらないでよ?」

分かりやすく子供じみた、それでいて強い感情。それを私に向ける前に、あなたにはやることがあるでしょう。

「……言われなくても」

呆れるほかない私の表情を汲み取ってくれたのかは分からないが、口端に滲んだ鋭さをいつもの酷薄な微笑で掻き消して、五条さんは泰然とした足取りで職員室を出て行った。

言われなくても、五条悟のお気に入りに手を出すなど、まっぴら御免だ。いろんな意味で。

ひとに売る花はない


律儀に話を聞いてくれるナナミンに懐いてる先輩と、マウンティングが趣味の五条さんと、なんでもいいから二人まとめてどこかへ行ってほしいナナミン。

Title by 天文学