コバルトブルーの怪物を飼っている

 

「ねー五条」
「んー?」
「無下限呪術って肌荒れとかにも効くの?」
「は?」

テーブルに頬杖をつきながら問えば、目の前でりんごジュースを啜っていた男は、これでもかというほど口許を歪めてみせた。これは人を心底バカにしている顔だ。サングラスをしていてもわかる。

私たちは、煉瓦造りの瀟洒なイタリアンの店の個室で向かい合っていた。なにを隠そう、このたび彼氏に振られた可哀想な私を慰める会を催しているのだ。まあもっと簡単に言えば、私がこの下戸を捕まえてヤケ酒に付き合わせているだけなんだけれども。

「ナマエさあ……馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたけど、ついにイカれた?」

ココ、と自分のこめかみを指差しながら、ことさら心配そうな素振りで言ってくる。嫌味なやつだ。
私は聞かなかったことにして、頬杖を解いて姿勢を正してから、コホンとわざとらしく咳払いをしてみせた。

「五条くん。今日は私を慰めて甘やかす係なんだよきみは。そこんとこわかってるのかね?」
「絡み酒うざい」

他愛もない冗談をピシャリと跳ねつけてくる五条は冷たい。

そういえば、と思い出す。今までも彼氏に振られるたび、五条はこうして愚痴に付き合ってくれていた。けれど、いつも私を甘やかすことは絶対にしてくれない。とりあえず私の愚痴を片っ端から否定して、ダメ出しをして、けちょんけちょんに貶して、結局私は言い返すこともできずに己の愚かさを再確認するだけで終わる。

でも、それがかえって私の心をスッキリさせているのも事実だった。五条の言葉には何の嘘も取り繕いもないと分かるから、私も安心してすべてを曝け出すことができた。

何杯目かも忘れてしまったワインのグラスを傾けけながら、淡い灯りを受けた五条の白い肌がぼんやりと光っているのを眺めた。なめらかで毛穴のひとつもない、白磁のような肌。

「……アラサーの男の肌じゃないよね。どう見ても」

酔いに任せて、私は五条の頬に指を這わせた。酒で温まった私の指先より少し冷たい彼の肌は、人工物かのようにすべすべして気持ちがいい。

「はいはいお触り禁止。高いよ」
「禁止なのか金取るのかどっちよ」

鬱陶しそうにしながらも酔っ払い相手と諦めたのか、五条は私の手を振り払うでもなく、好きにさせてくれた。しばらく撫で回した後、調子に乗って両手で彼の顔を挟んで潰そうとしてみたら、術式で弾かれた。ずるい。……そうだ、五条はずるい。

「五条ばっかり肌きれいで顔も良くてずるい」
「でしょ? もっと褒めていいよ」
「こちとら高い化粧水使ってるのに過重労働と寝不足で肌はボロボロだし、恋人には若い子に逃げられるし、しかも三人連続同じパターンだし、」

あ、なんか自分で言ってて泣きそうになってきた。
たしかに任務で忙しくてデートもドタキャンすることが多いけれど、きちんと埋め合わせはするしマメに連絡も取っていたし、会えるときは高いフェイスパックして思いきりオシャレして、とにかく頑張っていたつもりだった。なのにみんな、そんな私ではダメだと言って離れていく。

「……私もうなにを頑張ればいいのかわかんない」
「だーからー、いつも言ってるだろ? 頑張れば頑張るほど男は逃げていくんだって。ナマエは全然わかってないね」

五条は愉快そうに言って、つまみの生ハムを口に放り込んだ。うまいねこれ、なんて呑気な声が聞こえる。恨みを込めた目でじっとりと見つめてみるが、人を食ったような笑みが返ってくるだけだった。彼の本性を知らない人の目には、さぞ麗しい微笑に映るのだろう。なんという理不尽。

きっと五条の顔がいいのも肌が綺麗なのもすべて無下限呪術のせいだ。無下限さえあれば私の肌も人生も潤うに違いない。そうに決まってる。

そんな支離滅裂なことを捲し立てていると、いよいよ酔いも回ってきたのか、視界がだんだんぼやけてきた。五条はそんな私を見て盛大にため息をついている。惨めだ。自分でも無茶苦茶な理屈だとわかっているだけに、ただ拳を握りしめて悔しさを押し殺すしかできない。

「ナマエってほんっとに男を見る目ないよねえ。何度同じ失敗すれば気が済むんだか」
「くそ、男なんて……! 男なんて……!」
「目の前にこんないい男がいるってのにさあ」

俯いた私の視界に、五条の大きな手が映り込んできた。まるで自然な動きでそのまま私の右手に重なる。ぽかんとしていると、力が緩んだ隙に拳をこじ開け、するりと長い指が絡められた。

「――いつまで余所見してんだよ」

いつもより低いトーンの声に焦って顔を上げると、黒いレンズの向こうの不敵な瞳と目が合った。かと思えば、五条はテーブル越しにぐいっと身を乗り出して、私の鼻先三寸まで近づいてくる。

「え、ごじょ」
「歴代彼氏の知らないナマエのカワイイところ、教えてあげようか?」

ささやくように言うが早いか、五条は空いている方の手でサングラスを外すと、瞬きの速さで私の唇を奪っていった。甘酸っぱいりんごの香りを残して。

「……は、?」

一拍遅れて何が起こったのかを理解した途端、身体中のアルコールが急激に集まったかのように顔が熱くなる。口を開けたまま言葉を発することもできない私を見て、五条はしたり顔で言い放った。

「そーゆーところ」

悪魔のように嗤ったその顔も、ムカつくほど綺麗だ。

コバルトブルーの怪物を飼っている

 


五条さんの唇がぷるぷるなのもきっと無下限のせい

Title by 天文学