涙は希釈された祈りであること

ひどい夢を見た。
ある朝、目覚めたら隣には生ぬるい空白だけが残っていた。整然と切り取られた窓の向こうはただしく晴れ渡っていて、痛いほどの青が果てしなく続いていて、でもその下のどこを探してももうあの人はいない。そのことを私は真っ白なシーツにくるまったままで、すべてわかっていた。

いってしまったのだと、思った。

あの人をあの人たらしめる世界が憎かった。そんな世界を丸ごと愛してしまえるあの人のことが好きだった。
私の髪を優しく撫でる大きな手が私だけのものではないと知っている。どんなにどんなに強く握っていても、いつか離れてしまうことを知っている。軽やかに鮮やかに、何も背負ってなどいないような顔で、振り返りもしないで。

「――泣いてるの?」

ゆるく目を開けると、視界がぼやけていて驚いた。二度、三度とまばたきをすれば、横向きに伏せた顔をあたたかい涙が伝い落ちて耳をくすぐる。ずび、と鼻を啜り上げた私を、悟は目を丸くして見つめていた。

「よーしよしよし、悟くんが慰めてあげようねえ」

シーツの海を掻き分けて、悟が隣に潜り込んでくる。引き寄せられるまま、白い素肌に頬を埋めた。私よりずいぶん高い体温と規則正しい心臓の鼓動を確かめる。悟はざらついた親指の腹で、私の眦を大事そうに拭った。

「……悟、どこ行ってたの」
「シャワー浴びてきただけだよ」
「……」
「さみしかった?」
「……、……ん」

風呂上がりの悟の肌はやわらかくて石鹸の香りを纏っている。鼻を擦りつけるようにして、その奥にある悟の匂いを探した。「かわいいね」と笑う低い声が、ぴったり合わさった胸から流れ込んで私の体を震わせる。

「もうちょっと寝てたら?」
「……でも、また変な夢見るかも」
「僕の腕の中で悪夢なんか見るわけないでしょ」

当たり前のように言ってのける声音と同じ温度の手のひらで、悟は私の髪を撫でる。そうすると私が眠たくなることをわかっている。私を満たすのも涸らすのも、いつだって悟だけだ。

「そういうとこ、ほんとむかつく……」
「えーっ、なになにご機嫌斜め?」
「ちがうけど……」

言葉にできないから、出っ張った鎖骨に噛みついて小さな花をつけた。どうせすぐに消えてしまうんだけど、いまだけはこの人に私の跡を残してみたかった。

ぜんぶ捨てて私とずっと眠っていようよ。いつかの夜、そう言った私を笑ったあなたは、私が至極大真面目だったことなんて知らないんだろう。馬鹿だなって笑ってくれていいよ。振り返らなくてもいいし、忘れてしまったっていいよ。ただあなたの行く先にどうか光が溢れていますように。そう願うことだけは、ずっとずっと許していてほしい。

「おやすみ、ナマエ」

そうしてもしも帰ってきたら、また泣いてる私を見つけて抱きしめて、冴えた青空みたいな瞳で笑って。

涙は希釈された祈りであること


衝動で書いた二時間クオリティをお許しください。
五条悟さんにどうかたくさんの幸せがありますように。