真夜中は私たちの楽園として

「いい? いくよ」
「おう」
「せーの、」

ぱんぱかぱーん、と安っぽいファンファーレを唇で鳴らして、私は白い四角の箱を一息に開け放った。深夜零時近くの談話室に、甘くて香ばしい匂いが立ち込める。待ちきれない気持ちで箱の中を覗き込めば、宝石のようにきらきらと煌めくフルーツをこんもり載せた大きなタルトが、誇らしげにこちらを見上げていた。

「うーわー! 美味しそう! すごい! 豪華!」
「ふふん、俺のセンス舐めんなよ」
「さすが五条くん! やっぱりできる男は違いますなあ」

よしよしよくやった、と柔らかな前髪を撫でてやると、五条くんは居心地が悪そうに目を細める。でも決して文句は言わないので、私はいつも彼にこうするのをやめなかった。だって五条くんはうんと背が高いから、近くに座っているこういうときくらいしか、ふわふわの銀糸には触れることもできないのだ。

「それにしてもよく買えたね。このお店のタルト、いつもすぐ売り切れちゃうのに」
「だからわざわざ開店時間に行って並んだんだっつの。感謝しろよ」
「五条くんが時間に遅れずに行動できるようになるなんて。先輩嬉しくて泣きそう」
「あ?」
「うそうそ、ほんとに感謝してる。ありがとう」

神妙に頭を下げた私を見て、薄い唇が何かを言いかけ、やめる。飲み込まれた言葉がなんなのか、私にはわかってしまった。
「これが最後だね」引き継ぐように口にすると、五条くんは黙って顔を背けた。

 

深夜に行われるこの奇妙なイベントは、一年ほど前に始まった。今日と同じ金曜日の夜だった。任務を終えてくたくたになって帰ってきた私は、自室に戻る気力もないまま、共有キッチンの片隅で無心になってシュークリームを食べていた。

呪術師をやっていれば、嫌なことは山ほどある。そりゃあ人間の悪意そのものを相手にしているようなものだから仕方がない。この道を行くと決めたからには覚悟はできていた。できていたけれど、それでも、どうしようもなくやるせない気持ちになってしまうときだってあるのだ。

生クリーム、カスタード、チョコレート、季節限定のいちご。コンビニで片っ端から買い漁り、ゆうに十個はあったと思う。その丸くてふわふわのお菓子を掴んでは齧り、齧っては飲み込みを繰り返しているうちに、背後から聞き慣れた低い声がした。

「シュークリームに恨みでもあんの?」

振り返ると、背の高い男が立っていた。星屑のように輝く白い髪の隙間から、怪訝そうに顰められた端正な顔が覗いている。いつ見ても美しい後輩だった。

「……ないよ、そんなの」
「じゃあもっと美味そうに食えよ」

大きな手で私の向かいの椅子を引いて、許可を取ることもなく当たり前のように腰を下ろす。そういう傍若無人な振る舞いがなぜか許されてしまうのも、彼の持つ才覚のひとつなのだろう。

「……これは、まあ、やけ食いってやつ」
「へえ」

悪戯が見つかった子供みたいな気分だ。すべてを見透かすような青い瞳から目を逸らして呟くと、五条くんは面白そうに唇を持ち上げた。

「真面目なセンパイでもそーゆーことするんだ」
「あっ」
「俺も仲間に入れてよ」

最後のひとつとなったシュークリームに、五条くんは躊躇いもなく齧りついた。大きな口の端に粉砂糖を僅かばかり残し、私のシュークリームはあっという間に消えてなくなった。

それからというもの、毎週金曜日の深夜、私たちは各々選んだスイーツを持ち寄っては、こうして『秘密のやけ食いパーティー』を催してきた。議題は呪術師の働き方改革であるとか、上層部補完計画であるとか、給与待遇改善についてであるとか、真面目なものから荒唐無稽なものまで、様々だった。
五条くんと話すのは楽しかった。彼は頭も口もよく回るし、何より胸の空くような、悪いことをすべて吹き飛ばしてくれるような、軽やかな笑い声が好きだった。

 

「んー、美味しい!」
「当たり前じゃん俺が買ってきたんだから」
「何その理屈」

ホールのタルトを二人で贅沢に分け合いながら、私たちはいつも通りだった。よく喋り、よく食べ、よく笑う。今日、この瞬間が最後だと知っていても。

「五条くん」
「……ん」
「いままでありがとう」

フォークを置いて、青い瞳を見つめる。強く光るその目は微塵も揺れていない。これからもそうであったらいいな、と思う。
私は明日にはここを離れる。遥か遠い土地で、また呪術師として生きていく。たぶん、毎週金曜日には五条くんのことを思い出しながら。

「私がいなくなったら寂しい?」
「別に」
「あ、そう」

残念、とおどけて笑ってみせた。寂しいのは私のほうで、そしてきっと私だけだ。五条くんがいなかったら私は術師を辞めていたかもしれない。でも、私がいなくても彼が術師を辞めることはない。それはとても誇らしくて、少し切ない。

「――会いたくなったら会いに行くし。どこにいても」

まっすぐな声だった。驚いて顔を上げれば、まっさらな青が目の前に広がっていた。唇が燃えるように熱い。ひゅ、と短く呼吸をしたら甘いシロップの香りが喉を焼いて、それがどちらのものだったのかは、わからなかった。

「だから、知らないとこでそーゆー顔しないでよね」

そーゆー顔ってどういう顔? 笑い混じりで聞き返す前に、頬を濡らした温かな雫を、彼の指先が攫っていった。

真夜中は私たちの楽園として


今年三月のじゅ夢ワンライ最終回に投稿したお話を手直ししたものです。