CANDY-FED少年少女

※高専時代、モブ補助監督視点

 

 

二月二十日

今日の同行術師は一年生の女の子だった。

「え、五条先輩ですか?」

後部座席を映し取ったバックミラーの中で、彼女はことりと首を傾げた。綺麗に切り揃えられた前髪がさらさら揺れて、まだあどけない顔つきを際立たせる。これでいて既に単独任務も難なくこなす二級術師だというのだから、まったく呪術師という人たちは底が知れないものだ。

彼女の任務に同行するのは今回が初めてだった。初対面の呪術師との任務は実のところ苦手だ。事前に簡単な来歴や人となりについては資料を確認しているものの、そんな少ない情報から話題を引き出せるほど私は話し上手でもないし、かと言って狭い車内で沈黙に耐えていられるほど精神が強くもなかった。
だから、彼女を乗せて車を走らせ始めてからいくらも経たないうちに、私はとっておきの切り札を出すことにした。名付けて〝仲良しの先輩の話題で盛り上がろう作戦〟である。『五条くんと仲がいいそうですね。よくお話を伺ってますよ』――そんな風にごく当たり障りのない口調で切り出して、話は冒頭に戻る。

「いえ、全然仲良くないです」
「えっ」
「え?」

にべもない返答だった。思わず固まった私を鏡越しに見やって、彼女も同じだけ目を丸くする。朗らかな雰囲気で満たされる予定だった車内には、肌寒い風がぴゅうと通り抜けた。

「仲良くないですよ」
「に、二回も言わなくても」
「あ、すみません。でもほんとに仲良くないので」

きっぱりと言い切って、彼女は半分だけ開いた窓の外へと視線を向ける。しれっと三回も言ったよこの子。あっけらかんとした口調の割にその横顔はどこか不満げで、もしやまずいことを訊いてしまったのかもしれない、と後悔の念がむくむく頭をもたげ始めた。

(ず、ずいぶんイメージと違うなあ……)

弁解させてほしい。私だって、何も当てずっぽうでこんなことを言ったわけではない。他ならぬ五条くんの口から、これまでに何度も彼女の名前を聞いていたからである。

曰く「あいつが勉強わかんないって言うから教えてやった」。
曰く「毎日のよーに稽古つけろって頼まれて疲れるんだよね~」。
曰く「一緒に任務行くと必ず迷子になるし、どんだけ手かかるんだよ」。云々かんぬん。

任務で一緒になる度、満更でもなさそうな顔をしてそんなことを言われ続けていたら、誰だって仲良しの先輩後輩を想像してしまうと思う。文句を言いつつ世話を焼く先輩と、そんな彼を兄のように慕う後輩。そういう微笑ましい光景を思い浮かべたって何もおかしくない。むしろ思い浮かべざるを得ない。思い浮かべて然るべきだ。
つまり何が言いたいかというと、私は悪くない。悪くないけれど、この気まずい空気をどうしてくれるんだと当の五条くんに苦情を申し立てたくとも、残念ながらここには私と彼女の二人しかいないのだった。

だからといって、無理やりに話題を変えようとしたことがいけなかったのかもしれない。「そ、そういえば、先週はバレンタインでしたね! 若い子たちはやっぱり、友チョコとかみんなに配るんです?」と殊更に明るく話しかければ、きゅっと結ばれた彼女の唇はたちまち、不機嫌な子供のそれのように見事なへの字に曲がってしまった。今日の私は、とことんこの子の地雷を踏み抜く運命にあるようだ。

「……配り、ました」
「……そうですか……」

なんということだ、全然楽しそうじゃない。若者にとってはウキウキのイベントなんじゃないのか。その感覚自体がもう古いのだろうか。ハンドルを握る手にじっとり汗が滲む。そんな私の心境など知る由もない彼女は、苦虫を噛み潰したような顔で続けた。

「……でもわたし、料理が苦手で」
「そ、そうなんですね」
「だから市販のやつを買ったんですよ、……五条先輩にも」

まあ、そもそも手作りでないといけないという理由もあるまい。忙しい彼女たちなら尚更だ。けれど、話はそう簡単でもないらしい。

「そしたらあの人、なんて言ったと思います?」
「な、なんでしょうかね……」
「『はー? 既製品かよ、可愛げねー!』」

突然二回りも大きくなった彼女の声量に、私は運転席から三センチほど飛び上がった。うら若い女の子の口から出たとは到底思えない、ドスの利いた声であった。

「……いまのは、モノマネですか?」
「モノマネですけど、実物はもっと死ぬほど腹が立ちます」
「なるほど……?」

何がなるほどなのかは自分でもよくわからないが、とりあえず相槌を打っておく。急カーブに差し掛かったのをいいことに、私はいったんミラーから視線を外して運転に集中しているフリをした。それでも後ろからは「デパートの催事場で二時間もかけて選んだのに」であるとか「休日にあんなところ行くんじゃなかった」であるとか、呪詛が次から次に飛んできて、ちくちくと後頭部を刺されているような心地がする。五条くん、これで運転をミスったら私は君を恨みますよ。

「それでとてもムカついたので」
「はい」
「料理の特訓を始めました」
「それはまた」

唐突な。赤信号に引っかかったところで、つらつらと恨み言を並べていた彼女が決意のこもった声で言った。呪術師には負けず嫌いの人が多いようだけれど、それにしても彼女は五条くんの一言がよほど悔しかったらしい。これは仲良しどころではなく、もしや犬猿の仲というやつなのだろうか。だとしたら悪いこと訊いちゃったな。
そんなことを考えながら鏡越しに再び後部座席を窺って、けれど私はぽかんと口を開けてしまった。

彼女は拗ねたように唇を噛んで、じいっと窓の外を睨んでいた。頬はうっすらと上気し、目元には涙が滲んでいる。

「……来年はとびきり美味しいのを作って、絶対、五条先輩に吠え面かかせてやるんです」

物騒な物言いをしながら、彼女は少し余った袖でごしごしと眦を拭う。呆気に取られた。だってその横顔はどこからどう見ても、〝犬猿の仲〟の相手を思うときのそれではなかったのだ。

(……なあんだ)

一拍置いて、私はバレないようにふふっと小さく笑った。そこにいたのはただの負けず嫌いでも、ばりばり任務をこなす二級呪術師でもない。相手の一挙手一投足で簡単に揺さぶられてしまうような、ごく普通の、恋する十代の女の子なのだった。

「……五条くん、きっと喜びますよ」
「喜ばすんじゃだめです。ぎゃふんと言わせてやります」
「あはは、そうでした」

頑張ってくださいね。ありったけの気持ちを込めてそう声を掛ければ、小さな頭はこくりとひとつ頷いた。

 

三月五日

今日の同行術師は二年生の男の子二人だった。

「あ、そろそろお返しの用意をしないといけないな」

しばらく前から携帯をいじっていた黒髪の少年が、ふと顔を上げて呟いた。

「なに、お返しって」
「ホワイトデー。もうすぐだろ」
「あー」

もうひとりの白髪の少年は、窓の外を眺めながら相槌ともつかないぼやけた返事をする。いかにも関心がないといった風だった。

「お二人とも、お返しを用意するの大変そうですねえ」

ハンドルを切りながら会話を引き継ぐ。冗談めかして言ったつもりが「まあ、そうですね」と臆面もなく返答され、苦笑いが漏れた。こうもあけすけにされると、いっそ清々しいものがある。

今日の任務は一級案件だったが、この二人にかかれば朝飯前のようだった。ほんの一時間足らずで対象の呪霊を炙り出し、祓除を終えてしまった彼らに『夕方からのドラマの再放送に間に合わせて』とねだられて(駄々をこねたのは主に五条くんであったが)、いまは帰路を急いでいるところだ。任務にかかる時間よりも往復の移動時間のほうがよっぽど長いなんて、なんだかよくわからないが損をした気分にすらさせられる。

「お返しとかテキトーでよくねえ? そのへんの店で買ってきてばら撒けば」
「君の言う〝そのへんの店〟は信用ならないんだ」
「へーへー」

聞きながら、五条家御用達、という仰々しい言葉が頭の中を通り過ぎる。そんなものが無造作にばら撒かれた日には、取り分を巡って高専内で争いが勃発しそうだった。是非ともやめていただきたい。

「それに、一律で同じものってわけにもいかないだろう」
「なんでだよ」
「お返しのお菓子の種類にも、女性は意味を求めるらしいからね。知らずに贈って勝手な解釈をされたら困る」
「あーっそ」

五条くんが、くだらねえ、と吐き捨てる。しかし夏油くんの言葉には妙な説得力があった。どこか遠くを見つめる憂いを帯びた眼差しといい、この歳で男女関係の酸いも甘いも味わっているということなのだろうか。末恐ろしいにも程がある。

「そ、それ、私も聞いたことがありますよ」

生々しい話が飛び出してくる前にと、私は再び会話に割り込んだ。金と女、みたいな話題を十代の少年たちからはあまり聞きたくない。勝手と言われようが、大人はいつだって青い春に夢を見ていたいのである。

「五条くんは知ってます? ホワイトデーのお返しの意味」
「知らねー」

ついでに興味もねー、と続いてもおかしくないような声音だったが、五条くんはそのまま押し黙った。退屈な移動の暇潰しくらいにはなると思ったのかもしれない。沈黙は都合よく解釈することにする。

「諸説あるんですけどね。私が知っている話では、マシュマロは『お断り』、クッキーは『お友達でいましょう』、キャンディは『あなたのことが好きです』って意味らしいですよ」
「……ふーん」
「まあ、誰が言い出したのかわかりませんけどね」

なにせバレンタインだって、日本のそれは元来の意図からずいぶん外れているのだ。でも、意味があると言われたら気になってしまうのが人情というものである。

窓枠に頬杖をついて外を眺める五条くんを見やり、私はふと、二週間前にそこに座っていた女の子のことを思い出した。デパートで二時間かけてチョコレートを選んだという彼女に、五条くんはどんなお返しを用意するのだろうか。願わくば彼女がもう泣かないで済むような贈り物にしてほしいものだと、老婆心ながらに考えてしまう。

「だから言ったろう。大切にしたい相手には、それなりのものを返さないと」
「タイセツねえ」
「例えばほら、」

そこで私はびくりと肩を揺らした。夏油くんが口にした名前が、ちょうど頭に浮かんでいた彼女のそれだったからだ。バックミラーをちらりと窺えば、夏油くんは試すような目をして五条くんの顔を覗き込んでいた。その口元が面白そうに弧を描いているのを、私は見逃さなかった。

「はあ? なんであいつに」
「だって、悟はあの子を特別可愛がっているようだから」
「可愛がってねーわ」
「そうかい? それはおかしいな」

夏油くんはわざとらしく腕を組んで、悩ましげな表情を浮かべる。続いて放たれた言葉に、私はぱっかりと口を開けてしまった。

「だったら、宿題中の彼女に『そんなのもわかんねーの?』とか言って絡んだり、廊下で会う度にプロレス技をかけるフリしてじゃれついたり、任務中に勝手にいなくなって彼女に探させたりしているのは、全部ただの嫌がらせだったのか?」
「は」

は、と間抜けな声を漏らしたのは五条くんだけではなかった。なんということだろう。五条くんから聞いていたのとずいぶん話が違うじゃないか。そりゃあ彼女もあんな顔になるはずだった。

「私はてっきり、悟が彼女の気を引きたくてそういう子供じみたことをしているのかと思っていたんだが。勘違いだったなら悪かったよ」

夏油くんの話しぶりはたいそう意地が悪かった。この子は物腰柔らかで人が良さそうに見えて、その実たいへん腹が黒いのだということを、私はこの二年足らずでよくよく学んでいた。そしてこの瞬間、私はそんな彼をいまだかつてないほど全力で応援している。いいぞ夏油くん、もっとやれ。

「しかし、嫌がらせをするほど彼女のことが気に食わなかったなんて知らなかったなあ」
「はあ!? 誰もそんなこと言ってねーだろ!」
「耳元で大声を出さないでくれないか」

後部座席でやいのやいのと続くやり取りを聞きながら、私は素知らぬフリで緩やかに運転を続けた。急いでいるとはいえ、事故を起こしてはたまらない。たとえ五条くんの長い脚が苛々と運転席の背中を蹴ってきても、だ。

「つーか、あいつだって一律のもん配ってんじゃん。なんで俺だけ特別なの用意しなきゃいけねーんだよ」
「どうして一律だなんてわかるんだ?」
「市販品なんか全員分まとめて買ってるに決まってんだろ」
「そんなのわからないだろ。いくらチロルチョコの詰め合わせだって、数が違うとかプレミアムな一個が入ってるとか、違いを出そうと思えばできるじゃないか。諦めるのはまだ早いよ悟」
「は?」
「ん?」
「……なに、チロルって」
「え、私はあの子からチロルチョコの詰め合わせをもらったけど」

七海も。灰原も。ついでに硝子も。夏油くんが次々と名前を出すごとに、五条くんはまるで陸に打ち上げられた魚よろしくぱくぱくと口を開いては閉じる。そうして最後にはぴったりと唇を結んで、何も言わなくなってしまった。
それをぽかんとして見つめていた夏油くんの顔が、たちまち悪魔のような笑みを浮かべる様を私は見た。特級呪霊だってそうそう見せない、それはそれは凶悪な笑顔である。

「――あれ、もしかして悟のは違ったかな?」

そして、思い切り車を飛ばしたくなる衝動を必死に抑え込む私も、きっと同じくらい悪い顔をしているに違いなかった。

「五条くん、デパートにでも寄りましょうか?」
「いらねーよ!!」

 

三月十五日

今日の同行術師は一年生の女の子だった。

「信じられません」

車に乗り込むなり、彼女は語気を強めてそう言った。外はうららかな春の日和だというのに、嵐にでも遭ったような気分になる。

「……どうかしましたか? 朝ごはん食べ損ねたとか?」
「違うんです、朝はきちんと食べたんですけど」
「はあ」
「もうほんとにやだあの人」

これは、相当ご立腹なようだ。それだけで『あの人』が誰を指すのかほとんどわかってしまった。また余計なことを言わないようにしないといけないな、と私は愛想笑いを浮かべながら、ゆっくりとアクセルを踏み込む。徐々に上がっていくスピードメーターが彼女の怒りのゲージのように思え、これ以上加速することは憚られた。

「そ、そういえば、そろそろ桜の開花宣言が、」
「昨日、ホワイトデーだったじゃないですか」
「……あ、はい、そうですね……」

せっかく避けた地雷が向こうからぶつかってくる。こんな災難なことはなかった。

「……五条先輩が」

彼女の震える唇から飛び出した名前は、残念ながら予想通りだ。思わず天を仰ぎたくなる。運転中だからできないんですけどね。

「五条くん、お返しくれなかったんです……?」
「くれましたよ、くれましたけど」
「あ、そうなんですか」
「でもこれですよ!」

見てください! と彼女は勢いよく片手を挙げた。これが動かぬ証拠です、とでも告発するみたいな仕草だった。余所見をするわけにもいかない私のためにか、彼女は指先に摘まんだそれをバックミラーに映すように掲げてみせる。
きっと五条くんはまた意地悪をしたのだろう。仕方ない子だなあ。そんな風に思いながら呆れ半分で目をやって、しかし私は噴き出しそうになった。慌てて咳払いで誤魔化し、ハンドルを握り直す。対向車がいなくてよかった。こんなニヤついた顔で運転しているところを見られたら、不審な車と思われてしまうかもしれない。

「これ、これ一個だけですよ……!? 通りすがりにポケットからちょいって出して、ぽいって……!」

信じられない。三たび言って、彼女は唸りながら頭を抱えてしまった。「五条悟、バレンタインの呪霊に呪われてしまえ」などど恨み節も聞こえる。それでも大事に持ってるんですね、とは口が裂けても言えない。代わりに私は彼女の名前を呼んで、鏡越しににっこりと笑いかけた。
五条くん、これは貸しですよ。そんな偉そうなことを言ったら、またあの長い脚でシートを蹴られてしまうだろうか。

「知ってます? ホワイトデーのお返しには、それぞれ意味があるんですよ」
「いみ……?」
「諸説あるんですけどね――」

手のひらに握り込んだピンク色の飴玉の意味に彼女が気づくまで、あと、十秒。

CANDY-FED少年少女


2022.3.5 五夢Webオンリー「待ち合わせは夢路にて2」様にて無料配布・ネップリ配信させていただいたものです。