十七歳の文脈

※高専時代

 

 

「本当のことを言ってください。怒りませんから」

溜息混じりに言ってやると、ガラス玉のような瞳がきゅうと細くなった。私より何十センチも身長のある男の人が背中を丸めて、なんという姿だろう。彼の同期二人が見たら笑い転げて呼吸困難になってしまうかもしれない。そんなことを思うくらいには、殊勝な態度だった。

「……もう怒ってんじゃん」
「怒っていません。事実を確認したいだけです」
「顔が怒ってるもん」
「元からこんな顔です」
「ちょっと笑ってみてよ」
「そういう気分じゃないので」

私の表情筋があまり仕事をしないのは今に始まったことではない。父も母も、兄弟たちもみな寡黙なのだから、もはや遺伝というほかないだろう。大笑いもしなければ取り乱して泣くこともない。そして当然のことながら、目の前のこの人のようにぷくぷくと頬を膨らませて拗ねることもまた、ない。

「結局、私が焼いたアップルパイを根こそぎ食べてしまったのは五条先輩ということでいいですか」
「……うまそうだったから」
「答えになっていませんけど」

イエスかノーで済むことなのに、なぜ関係のない話を持ち出すのか。怪訝に思って眉を顰めると、それに負けず劣らず顔を歪めた五条先輩の口からは「…………くっ、た」と蚊の鳴くような声が聞こえた。

「あのですね、五条先輩」

私はもう一度、さっきよりも幾分か深い溜息をついて顔を上げた。真っ黒な丸いサングラスの向こうで、淡く光を放つ空色が揺れる。九割九分九厘、彼がやったことは明白であるのに、このバツの悪そうな顔は一体何なのだ。

「これで三度目です」
「……何がだよ」
「最初は先月。私が皆さんに配ろうと思っていた地方出張のお土産を、先輩が勝手に食べました。一人で、全部」
「…………」
「次は二週間前。補助監督の方からいただいたご当地キディちゃんのキーホルダーを強奪しましたね」
「あれは違うだろ、あとでちゃんと返したじゃん」
「無下限で押し潰されて、ただのプラスチック片になっていました」
「…………」

今度こそ五条先輩は沈黙した。当然のことだ。私はさっきから事実しか言っていない。彼からしてみれば抗弁のしようもないはずだった。だというのに、形ばかり良い唇はまだもごもごと何か言いたげにしている。言いたいことがあるなら、いつものようにはっきりと言えばいいのに。最近の五条先輩の態度は、なんとも不可解だった。

五条悟という人は、彼の持つ稀有な術式と同じように、まさに規格外の人物だった。いつだって自分の言いたいことを言いたいように言い、振る舞いたいように振る舞う。相手が誰だろうが関係ない。だって最強だから。私の目に映る五条悟は、そういう人だった。
それがどうだろう。いま、寮の古ぼけた共有キッチンの片隅で、アップルパイの僅かな残骸だけを乗せた皿を前に、口を尖らせてこちらを見ている。お土産を独り占めしてきたあたりから、ずっとこの調子なのだった。

「どうしてこんなことばかりするんです? 歌姫さんや硝子先輩とパーティーするためにせっかく焼いたのに」
「なんで俺の分ねーの」
「五条先輩はメンバーに入ってないので」
「……じゃあ入れろよ」
「無理です。女子会ですから。あと歌姫さんが嫌がります」
「俺より歌姫の言うこと聞くんだ。ふーん」
「言うこと聞く……?」

おかしなことばかり言うものだな。おもむろに首を傾げると、五条先輩の顔も同じ角度で傾く。目はずっと合ったままだ。さっきまでそわそわと視線をさまよわせていたくせに、急にまっすぐに射抜いてくるものだから訳がわからない。
そろそろ見上げるにも首が疲れてきたし、この不毛な問答は終わりにしよう。代わりのお菓子も買いに行かなくては。そう思って空っぽの皿に手を伸ばしたところ、その指先があたたかいものに包まれた。

「……だから、さあ」

私のそれより二回りも大きな手で、それはもうおっかなびっくりという表現がぴったりなくらいにそうっと私の手を握り、五条先輩が口を開いた。再び交わった視線はやはり、貫かんばかりに私を向いている。この人のこういう目は嫌いではなかった。きらきらとして、深く晴れた空をそのまま切り取ったみたいに美しくて。

「つまり」
「はい」
「お前の作ったものは俺が食いたいし」
「はい?」
「お前が他のやつに愛想振りまくの見たくないし」
「振りまいてませんが」
「他のやつからもらったキーホルダーとか、付けさせたくないわけ」
「はあ……」
「わかる?」

わかりません、と正直に答えたかったが、私の指先を握る手があまりにも熱くて、そればかりに気を取られているうち、気がつけば真っ白な肌が眼前にまで迫っていた。手を伸ばしたらすぐにでも澄んだ青に触れてしまえそうで、思わず口を噤む。五条先輩はぎゅっと眉間に皺を寄せ、念じるように私の顔を見つめながら、掠れそうな声で呟いた。

「……わかれよ」

そんなに真剣な顔で言われたって、わかりませんから。
そう答えたら、このまま指を握り潰されるだろうか。キディちゃんの無惨な姿が脳裏をよぎり、私は今日一番に深く嘆息した。

十七歳の文脈


2022/1/8開催「じゅ夢Webonly」様のワンライ企画に投稿したものです。一部修正を加えております。

Title by クライ