ふわふわ、もちもち、どきどき

※高専時代

 

 

「ぶは、餅が餅食ってる」

なんとも下品な笑い声が耳に入り、私はぴたりと箸を止めた。口元からにょんと伸びた白いそれを噛み切り、咀嚼しつつ振り返る。予想通りの人物が、予想よりも遥かに腹の立つにやついた顔を晒して、部屋の入り口に立っていた。

「あ。餅の呪霊、の間違いだった?」
「よーし上等だ表に出ろ」
「寒いからヤダ」

他人の、しかも女子の部屋の扉を勝手に開けるだけでは飽き足らず、五条は不躾にもずかずかと部屋の中に押し入ってくる。最悪だ。どうしてまだ三ヶ日も明けないうちにこいつと顔を合わせなきゃいけないのか。五条家の人間は何をしている。

「ちょっと入ってこないで」
「俺もコタツ入れてよ」
「無理もう定員オーバーだから」
「定員一名かよ、ショボ」

正方形の小さなコタツの、それもわざわざ私と隣り合ったスペースに、五条は長ったらしい脚を突っ込んだ。派手に捲れ上がった布団の隙間から冷たい空気が流れ込む。廊下から寒風を招き入れただけでも重罪であるのに、五条はふてぶてしくも「狭ッ」などと文句まで垂れた。許せん。万死に値する。だいたいこのコタツは硝子とぬくぬく女子トークをするために導入したもので、あんたのような規格外の人間が入る場所ではない。

「ご実家のご用事は済んだんですか五条家の御曹司さま」
「お前が一人で寂しがってるかと思って、親戚連中振り切って帰ってきてあげたよ」
「余計なお世話オブザイヤーなんですけど」
「まだ今年始まったばっかじゃん」

ウケる、と大してウケてもいないような声で言い、五条は許可もなくテレビのリモコンに手を伸ばす。コタツの中でいくら脚を蹴飛ばそうが、こいつの体はびくともしない。ついでに尊大な態度も。
そう、今日はまだ一月二日である。由緒正しいお家柄の五条家なんて、儀式だの挨拶だので大忙しのはずじゃなかったのか。夏油や硝子だってまだ帰省から戻っていないのに。

「お前こそなんでこんな早く戻ってきてんの? 暇人?」
「実家が近いからって呼び出された。最悪。今夜から仙台」
「カーワイソ」
「でも五条が戻ってきたなら五条が行けばいいよね? 五条なら一瞬で片付くもんね?」
「いーけど、代わりに明日の特級案件行ってくれる?」
「…………」

そうだった、こいつ特級だった。ねえねえ行けるの? 行ってくれんの? 意地悪く畳み掛けてくる五条は無視して、私は食べかけのお餅に意識を集中させる。三ヶ日は寮の食堂は閉まっているし、自炊など到底する気になれず、今日のお昼ご飯は実家で大量に持たされた切り餅をトースターでこんがり焼いたものだ。きな粉とかあんことかそういう気の利いたトッピングもないので、砂糖醤油でいただいている。これはこれで、たまに食べると美味しい。
四角いお餅に齧り付き、引っ張る。どこまでも伸びる白い物体をいつ噛みちぎるべきか逡巡していると、その様をじっと眺めていた五条が緩慢に口を開いた。

「お前さ、餅ばっか食ってるからそんな丸いの?」
「丸……!?」
「ほっぺたとかさあ、どんくらい伸びる? ちょっと引っ張ってみていい?」
「いいわけねーだろふざけんな」

私はぱちりと箸を置いた。よし、世間知らずのお坊ちゃんに教えてあげよう。まず人間の皮膚は餅みたいに伸びない。そして私は丸くない。ちゃんと標準体重に収まってるし、なんならあんたらに毎日毎日こてんぱんにされているせいで、腹筋だって割れている。だから私は決して丸くなどない。

「あとで夏油に言いつけるかんな」
「はー? 見たまんま言っただけなんだけど」
「丸くないから」
「いや丸いだろ」
「丸くない! こないだも『痩せて可愛くなった』って言われたもん!」
「誰にだよ」
「中学のときの同級生」
「はあ?」

五条の眉間にぐぐっと皺が寄る。どこが? とでも言いたげに私の顔をまじまじと見た。つくづく失礼なやつだ。容姿に関してだけはひとつの弱点もないのがまた腹立たしい。

「年末の同窓会でさ、久しぶりだったから盛り上がっちゃって、連絡先交換しようとか言われちゃって」
「……へーえ」
「あ、もし彼氏とかできちゃったりしたら、もう勝手に部屋入ってこないでね? てか普段から入ってこないで」

ぴしゃりと言ってやると、珍しく五条は口を噤んだ。ふふん、どうだまいったか。実は私の中学は女子校なのだけれど、五条はそんなことは知らない。ちょっとだけ良心が痛まないこともないが、これくらいの見栄は許されてもいいだろう。そうでもしなければ、この神に愛されし造形をした男には一矢報いることもできない。

「カレシ」
「そうだよ彼氏。五条は彼女いないでしょう。先にできちゃったらごめんね〜」

してやったりという気持ちで胸をそらした私に、五条はなんだか変な顔をした。飴玉みたいな目をきゅっと窄めて、唇をへの字に結んでいる。こんな顔を見るのは初めてだった。なんだなんだ、私が褒められてそんなに悔しいか。へえ。

「……なあ」
「なに」
「俺にも餅食わせろよ」
「はあ?」

押し殺すような声で五条が言う。勝手に人の部屋に押し入ってきて言いたい放題に言ってくれたうえ、餅まで食わせろと。しかし私はいま五条を黙らせてやったことで気分がいいので、お餅のひとつやふたつくらい分け与えることもやぶさかではない。大量に持たされたお餅の処遇に困っているとも言う。

「いいけど、砂糖醤油しかないよ」
「いい。なんもいらない」
「え、でもなんか付けないと味」

しなくない?
腰を浮かせかけたときだった。五条が私の腕を目一杯に引っ張った。バランスを崩して咄嗟に目をつむる。そのわずか一秒足らずの間に、頬にがりりと痛みが走った。

「……へ」

次いで、生温かい吐息が肌を掠める。
噛まれた、とわかったのは、至近距離で五条がべえっと舌を出して見せたからだった。

「……見た目より固ってえ」
「な、な……!?」

ぺしんと頬を覆った手のひらは、容赦なく引き剥がされる。なに、なに、なに!?

「固いし、伸びねえ」

ひりひりと燃えるように熱い肌を、五条の指先がつまんで引っ張る。だから伸びないって言ってんじゃん! そんな抗議の言葉も発せられなくなった私の頬に鼻先を擦り寄せ、五条は最後に特大の爆弾を投下した。

「味よくわかんなかったから、もっかい噛んでいい?」

――いいわけないでしょ、ばか!!

ふわふわ、もちもち、どきどき


twitterに投稿したものです。