わたしの王子様っぽいひと

※twitter再録

 

 

 

目の前に、緑色の海が広がっていた。

水底からぷつぷつと細かな泡が浮かんでは消えていく。ひとつ、ふたつと行方を見つめていると、不意に大きな手が伸びてきて、あっという間に丸ごとその海を奪い去って行った。

「なーに不貞腐れてんの」

私の向かいに座るその男は、大きなジョッキを傾けてにやりと笑った。中で緑色の液体が揺れて、涼しげな氷の音が鳴る。安っぽい人工甘味料の香りが鼻をついた。

「ちょっと合コンで失敗したくらいでさあ」
「言うな!」

私は再び居酒屋のテーブルに突っ伏した。今日、というかついさっき、久しぶりの合コンで大敗を喫した私は、なぜかこの下戸と二人で飲み直す羽目になっている。

どうせなら特級のお給料でしか行けないようなところに連れてってもらえばよかった。こんな安居酒屋のぬるいビールでは慰めにもならないではないか。五条が「僕メロンソーダ飲みたい」などとクソみたいなことを言い出したせいだ。いや安居酒屋には安居酒屋のいいところがあるけれどもね? 今日は違くてもよかったんじゃないのかな。

そんなあまりにも理不尽な人生に嫌気がさして、心頭滅却すべくメロンソーダの海を眺めていたわけである。ちなみにその海は瞬く間に薄い唇に吸い込まれ、いまはもう半分しか残っていない。

「……五条、なんであそこにいたの?」
「硝子に聞いて、面白そうだから見に行った」
「…………しょーこぉ……!」
「お前が大酒飲んで男連中にドン引きされるところ、最高だったよ」

けらけらと楽しそうに言ってのける五条の憎たらしいこと!私は視線だけを上げて、嘘みたいに整ったその顔を睨みつけた。

私以外の全員が酔い潰れた合コンの席に、腹を抱えて笑う五条悟が現れたときの絶望感といったらなかった。特級呪霊に遭遇したときもかくやというほどだ。こいつは他人の不幸を食って生きている。だからこんなにも悪魔的に顔が良いのだ。

私の目下の悩みは、いくら酒を飲んでも酔っ払えないことと、大の負けず嫌いなことだ。わかってる。普通の男はみんな、カシオレとかカルーアとかしか飲めない可愛い感じの女の子が好きなんだって。
でもダメなのだ。それじゃあ私は満足できない。ビールや日本酒やウィスキーをガンガンに飲んで、「俺、酒強いんだよね」などとアピールしてくる男たちの前で、「わたし甘いのしか飲めないの」ってしおらしく微笑んでいることがどうしてもできない。

呪術師が可愛げだけで生き残れるかって話だ。これは断じて負け惜しみなどではない。

「もう諦めろって。お前より酒飲める男はいないよ」
「……そんなことない。きっとどこかにいる。ビール樽に乗って私を迎えに来てくれる王子様が」
「少なくとも街場の合コンには現れないと思うよ?」

すんすんと鼻を鳴らす私を前に、五条は上機嫌でメロンソーダを飲み下した。そんなに人の不幸が美味いか。くそ。

「そんな甘いのばっか飲んで、病気になっても知らないからね」
「僕は常に頭使ってるから糖分が必要なの。お前も飲む?」
「いらない。酒をよこせ」
「遠慮すんなよ」

いらないってば。そう突っぱねようとした私の唇は途中で動かなくなった。急に身を乗り出してきた五条の顔が視界いっぱいに広がって、ちう、と間抜けな音がして、それから甘いシロップの味がした。は?

「――例えばさあ」

青い瞳をきらきらと瞬かせて、いたずらっ子のような顔で五条は笑った。外したサングラスを弄んでいた長い指が、ちょんと自身の顔を指し示す。小首を傾げるんじゃない。

「酒以外すべて最強な王子様ならここにいるけど、どう?」

下戸相手ならお前も張り合わなくていいと思うんだけど。しれっとした顔でさも名案みたいに言うから、咄嗟に頷きそうになった。危ない、こいつ変な説得力があるんだよ。すんでのところで我に返り、私はテーブルに預けていた頭をやっとのことで持ち上げた。

「な、なに言って……」
「僕ならお前がどんだけ飲んでても引かないし」
「え、うん、え?」
「ビール樽には乗れないけど、瞬間移動はできるよ」
「そういうことじゃなくない……?」
「僕、お前のこと結構好きだし」

あっけらかんとのたまった五条に、うまく言い返す言葉が見つからない。へえ。五条って私のこと結構好きなんだ。ふうん。知らなかったなあ。

口を噤んだ私の唇を、乾いた指先がするりと撫でた。乙女の唇に気安く触るんじゃないよと思ったけれど、さっきもっとダイレクトに触れられたことを思い出す。
なんだかどんどん顔があっつくなってきた。じわじわと時間差で回る酒を飲んだ後みたいに身体中が熱を持ち始めて、ついに私はその指を振り払うことさえできなくなってしまった。

「ね、どう?」

――ああもう。そんな期待を込めた目で見つめられたら、ちょっと好きになっちゃいそうじゃないか。ばか。

わたしの王子様っぽいひと


ワンライに投稿したお話を加筆修正したものです。

Title by エナメル