朝はまっすぐにやってきて

※twitter再録

 

 

 

夜は嫌いだ。

真っ黒な空から、いまにもインクのように闇が滴り落ちてきて、私を呑み込んでしまいそうに思えてくる。

淹れたばかりのコーヒーをテーブルに置いて、少しだけ開いていたカーテンを思いきり閉め切った。忌々しい。今日は月も見えない。

子供の頃、家に蔵があった。何か粗相をすると一人きりでそこに閉じ込められて、泣こうが喚こうが翌朝まで決して出してもらえなかった。耳に痛いほどの静寂と、どろりと絡みつく闇に押し潰されそうになりながら、ひたすらに朝を待った。
いつの時代の話だよと思うが、呪術界にはそういう、びっくりするほど時代錯誤な家がいまだに多く存在するのだ。そしてその頃の仄暗い記憶が、いい大人になった今もまだ私を掴んで離さない。

任務はいつも、夕方以降の時間帯のものばかり優先して受けている。変わり者の呪術師といえど、夜勤を喜んで引き受ける酔狂なやつはなかなかいないようで、意外と重宝されていた。
それでも夜の予定が埋まらない日は、明かりを煌々とつけたままの部屋で、まんじりともせず朝を待つ。本を読んだり映画を観たり、物音を立てないように掃除をしてみたり。

そして、そういうときには決まって、彼が現れるのだった。

「や。元気?」
「……また来たの」

深夜二時を回った頃、不躾なインターホンの音とともに五条悟はやってきた。いつも通り、ミルクティーとドーナツの入ったコンビニ袋を提げている。これは決して差し入れなどではなく、すべて彼の胃袋に収まる予定のものだ。

「そろそろ僕に会いたくなる頃かと思って」
「特級のくせに暇だね」
「あ、今日はなに観てんの〜?」

私の言葉になど耳も貸さず、五条はさっさと靴を脱いで部屋に上がり込んだ。散らばった馬鹿でかい靴を揃えている間に、もうソファにどっかり腰を据えてテレビを眺めている。相変わらず神経の図太いやつだ。

「夢の中で夢を見てどんどん潜っていくやつ」
「あーこれ、僕十回は観たわ」

よくできてるよねえ。感心したように言って、五条はミルクティーをごくりと飲み下した。無骨な喉仏が大きく上下するのを、私は黙って見つめていた。

何物にも頓着しないように見えるこの男が、なぜこの家に足繁く通ってくるのか、私には皆目見当もつかない。
共に高専を卒業して何年か経った頃、突然ふらりと現れるようになった五条は、そのままなんの違和感もなく私の生活の一部に溶け込んでしまった。理由を訊ねようとは思わなかった。訊いたところで素直に答えるような相手でもないし、そもそも五条の考えることなんて、常人の理解の範疇を大きく外れている。

わざとらしく膝を広げた長い脚を押しのけて、五条の隣に腰を下ろす。無言の嫌がらせにも慣れたものだ。ぬるくなったコーヒーに手を伸ばそうとしたところ、目の前に砂糖と蜂蜜にまみれたドーナツが差し出された。

「食べたい?」
「いらない」
「あげないけどね」

睨んでやると、五条はからからと笑った。

こうして何度一緒に夜を過ごしたかわからないが、これまで色めいたことは一切起こらなかった。手が触れることすら稀と言える。当然といえばそうかもしれない。学生時代から数えて十年以上、そういう素振りをお互い見せたことも感じたこともないのだから。

ただ狭いソファで寄り添って、黙って何本も映画を観る。そうしているといつの間にか私は眠ってしまうのだった。目覚めると朝になっていて、いつも五条はいない。まるで夢か幻のように、跡形もなく消え去っている。

「……珍しいね。今日は甘えんぼ?」

硬い肩に頭を預けたら、五条は前を向いたまま淡く微笑んだ。その声はいつも通りに平らかで、何の思惑も読み取れない。

「五条」

名前を呼んで、膝の上に無造作に置かれた白い手に指を這わせた。ごつごつと浮かび上がる骨を一本一本なぞるように撫でていく。

いつだっただろう。朝の白々とした風景の中に、初めて彼の姿を求めたのは。キスをするでもなく、体を重ねるでもなく、眠った私にそっと毛布をかけて去っていくだけのこの男を、引き留めたいと思ってしまったのは。

「今日は朝まで一緒にいて」

そっと落とすように囁いた。ようやくこちらを向いた青い瞳と視線が絡まる。永遠のような一瞬の空白の後、五条が短く息を吐いた。

「――は、やっとかよ」

その目は見たこともないほどに爛々と輝いていた。そんなにも強い光を、今まで一体どこに隠し持っていたのだろう。熱い指先が頬を撫でる。言葉を失った私の鼻先で、五条はあでやかに笑った。

唇を食む柔らかな感触を味わいながら、ゆっくりと目を閉じる。さあ、その光で、くだらない夜をぜんぶ蹴散らしてよ。

朝はまっすぐにやってきて


ワンライに投稿したお話を加筆修正したものです。