エンドロールへみちづれ

お題企画

 

 

「――七海ッ!!」

半ば悲鳴に近い声で叫びながら、会議室の引き戸を思いっきり開けた。すぱーんと小気味よい音が響いて、デスクを挟んで向かい合っていたふたつの頭がこちらを向く。そのうち金色のほうをまっすぐに見据え、私は顔の前で勢いよく手を合わせた。

「一生のお願い! 私の彼氏になって!!」
「…………はあ?」

エンドロールへみちづれ

「――つまり、縁談を断るためにご両親に恋人を紹介する必要があると」
「うん」
「その恋人役を私に頼みたい、と」
「うん」

抑揚の欠けた声に、私は大きく頷いた。

先週末、法事で実家に帰ったとき、それはついにやってきた。そこそこの歴史を持つ呪術師の家系で、この年齢になって男の影のひとつもない娘に、久しぶりに会った親が言うことなんか決まりきっている。すなわち、『相手いないならこっちで適当に用意するから文句言うなよ』だ。

冗談じゃない。私は言ってやった。相手はいる。それはもうどんなお見合い相手も霞んでしまうくらい、文句なしに素敵な人である、と。

「嫌です」
「なんでえええ」

人差し指でサングラスをちゃきっと持ち上げて、七海はにべもなく言い放った。取り付く島もないとはこのことか。
七海は昔からずーっと愛想が悪い。だけど心根の真面目さと、そこから湧き出る誠実な言動は紛れもなく本物だ。呪術師としても優秀だし、何より群を抜いてまともである。そこを見込んでこうして頭を下げにきたわけで。

「七海ならうちの両親も絶対に納得するから! しばらくしたら別れたことにするからー!!」
「嫌です。面倒くさい」
「私と七海の仲でしょ!?」
「どんな仲ですか」

そりゃあ一緒に青春時代を過ごした盟友でしょうよ! 汗と涙で彩られたあの美しい日々を忘れたのかオマエは! そう詰め寄ったところで、七海が絆されてくれるはずもなかった。冷たい、あまりに冷たいじゃないか七海。しっしっと追い払う仕草をするその手に取りすがろうとしたとき、刺すような視線を感じて私は動きを止めた。

「……ちょっとナマエ。さっきから黙って聞いてればさあ」

ぴ、と肩が跳ねる。日本人離れした長い脚を床に投げ出し、腕組みをした五条さんは、地を這うような低い声で私を制した。目隠しをしていても、その下で鋭く目を細めているだろうことがよくわかる。しまった、必死すぎて五条さんいるの忘れてた。

「す、すみません五条さん、会議のお邪魔を、」
「僕の七海にちょっかい出さないでくれるッ!?」

……は?
七海と私の声がぴったりと重なった。コホンと小さく咳払いをした五条さんは、パイプ椅子を軋ませて立ち上がる。それから珍しく神妙な顔で「内緒にしてたんだけど、」と呟いて、七海の肩に手を掛けた。見上げるほど大きな男二人が寄り添う姿には、なんともいえない迫力があった。

「実は僕たち、付き合ってるんだよね……」
「はえ!?」
「やめてください気色が悪い。あなたも信じるんじゃない」

間髪入れずに、七海がぴしゃりと撥ね付ける。なんだ嘘か、びっくりした。七海はこれでもかと顔を顰めて、肩に乗った五条さんの手を払い除けた。七海の眉間の皺は五条さんのせいで取れなくなってしまったんじゃないかと私は密かに疑っているのだが、あながち間違いでもないような気がしてきた。

「ひどいよ七海ッ! あのとき愛を誓ってくれたのは嘘だったの!?」
「とうとう性格だけでなく頭も悪くなってしまったようですね」
「五条さん、変な茶々入れるのやめてくださいよ……こっちは真剣なんですから」

よよと泣き崩れた五条さんに、七海の冷たい視線が突き刺さる。ついでに私のも。この人は平気な顔でとんでもない嘘をつくが、普段の行いからしてとんでもないので、どれが嘘でどれが本当なのかさっぱりわからない。狼少年も真っ青である。

「茶々じゃないもーん。ナマエの無茶振りからカワイイ後輩を守ってあげようとしただけだもーん」
「余計なお世話です」

七海に一蹴され、ぷんと頬を膨らませる五条さんはあざとかった。そうやって何人もの女性たちを手玉に取ってきたのだろう。しかし残念でした、もう騙されませんよ。ていうか、それを言うなら私だってカワイイ後輩じゃないんですかね。

「無茶振りじゃないですー! 一日だけ彼氏のフリしてもらうだけですー!」
「だって七海は嫌がってんじゃん」
「これから説得するところだったのに五条さんが変なこと言うから」
「だいたい、ナマエと七海じゃ恋人同士に見えないよ?親密度が足りなすぎ」
「私と七海はちゃんと仲良しですよ!?」

ねえ七海、と話を振ろうとしたのに、私と目が合う寸前で彼はあらぬ方向へと顔をそむけた。ちょっとなんでよ。ひどくない?もう一度呼びかけようと口を開いたとき、黒い影がゆらりと動いて私の視界を塞いだ。大きな革靴に踏みしめられ、古い床がギシギシと悲鳴を上げる。

「……へえ。仲良し、ね」

意味ありげに口角を吊り上げて、五条さんはまた一歩こちらへと近づいた。三十センチも上から直角に見下ろされると、何も悪いことなどしていないのに妙に気圧されてしまう。思わず体を引こうとしたら、無遠慮な手が伸びてきて私の手首をがっちりと掴んだ。

「ご、五条さん?」
「じゃあお前は、七海とちゃんと恋人っぽいことできるの?」

言って、五条さんはするりと目隠しを下ろした。途端に現れる空色の瞳に目を奪われた一瞬のうちに、艶かしい仕草で指を絡め取られる。驚いてそちらに目をやると、今度は顎を掬われた。ゆっくりと、でも拒めないくらいの力で上を向かされて、乾いた親指がやけに優しく私の唇をなぞった。

——え、なにこれどういう状況?

「例えば、こんなこととか」

ぴしりと固まった私にはお構いなしに、五条さんはにこにこ笑いながらさらに距離を詰めてくる。

五条さんの顔なんて見慣れてる。いくら美しく微笑まれたって、可愛くおねだりされたってどうってことない、はずだった。なのにいまの私ときたら、澄んだ瞳が綺麗だとか睫毛が長いとか肌が白いとか、そんな単純なことだけで、頭がいっぱいになっている。

「……こんなことも?」

こつん、と鼻がぶつかって、私はついに息を止めた。一ミリでも動いたら唇が触れてしまいそうだった。匂い立つような色香を孕んだ瞳に、目を見開いたままの自分の顔が映っている。私の唇を撫でていた五条さんの手はいつの間にかするすると移動して、いまや後頭部をやんわりと掴んでいた。

これ、ちょっと力を入れて引き寄せられたら、もう、

「――ねえ、ナマエ?」

囁く声とともに漏れた吐息が、唇を掠める。五条さんはゆるりと首を傾げて、あでやかに微笑んだ。

そんな、そんな顔で名前を呼ばないでほしい。途端にものすごく恥ずかしくなって、私は慌てて目を伏せた。知らず知らずのうちにぎゅっと握りしめていた拳をなんとか開いて、五条さんの肩を押し返す。てっきり無限に阻まれるものと思っていた指先はいとも簡単に硬い筋肉と骨の感触に辿り着いて、それだけで滑稽なくらい手が震えた。

「も、もう、わかりました、から……!」
「そう? ナマエは物分かりがいいね」

くつくつと喉を鳴らしながらも、五条さんは案外あっさりと離れてくれた。

……びっくりした。ただの悪ふざけだってわかっていても、まだ心臓がばくばくとうるさい。五条さん、体温低そうなのに、触れたところから溶け出してしまいそうに熱かった。そんなことを思い出してまた頬に熱が昇ってくる。いけない、まんまと手玉に取られかけているではないか。ふるふると頭を振って顔を上げた私を、五条さんはたいそう楽しそうに見下ろしていた。

「ってな感じで〜、恋人って名乗るからには、それなりのリアリティが必要でしょ。ナマエ、本当に七海に頼めるの?」
「う、それ、は……」
「ね、僕いいこと考えたんだけど」

言いながら、五条さんはちらりと隣に視線を走らせた。その先では七海が心底呆れ果てた様子で腕を組んでいる。憐れむような瞳に「諦めろ」と言われた気がした。嫌な予感しかしない。だいたい、五条さんの言う“いいこと”なんて、本当に良かった試しがないのだ。

「僕がナマエの彼氏になってあげるね」

カワイイ後輩に特別大サービスだよ、などと満面の笑みでうそぶく五条さんに、私は深く溜息をついた。断れる気がしない。うちの両親、卒倒しちゃうかもなあ。

 

 


持ち前の富と名声と顔面で相手両親を誑し込み、その場で結婚式の日取りまで決めてしまう五条さんと、よくこんなに堂々と嘘つけるなあと感心してるうちにガッチリ囲い込まれてしまう後輩と、ご祝儀出したくねえ…と思っている七海さん。

お題:七海さんネタで夢主との争い→七海さんにマウンティングする五条さん/メロンパン子様
お題ありがとうございました!五条・七海ペア大好きです…!

Title by 天文学