弱虫と砂糖菓子

お題企画

※高専時代

 

 

窓の外にまばゆい閃光が走った。それから数秒とおかず、大地が割れたかと思うほどの轟音が鳴り響く。びりびりと震える窓ガラスのほうを見ないようにして、私はテレビの音量をぐんと上げた。深夜のお笑い番組のやけに明るい声が、誰もいない談話室に虚しくこだまする。

今日は朝から天気が悪かった。ご機嫌斜めの空は夜半ついに泣き出し、バケツをひっくり返したような大雨を降らせた。それだけならまだいい。許せないのはこの、雷だ。

「ひっ……!」

再びフラッシュのごとく瞬いた光に身をすくめる。追い討ちをかけるように、あのピシャーンという恐ろしい音が襲ってきた。さっきより間隔が狭くなっているのが恨めしい。やたらめったら目についた場所に落ちまくるなんて、節操がなさすぎやしませんかね。

本来とっくに戻って寝ているはずの私の部屋は、寮の三階の角っこにある。大きな窓がふたつあって日当たりがよく、普段は文句なしに気に入っているのだけれど、こと雷の日には最悪だった。お日様の光ならいざ知らず、ビカビカと攻撃的な稲光が差し込む部屋でなど、とても眠れたものではない。

いつもならすぐにでも硝子さんの部屋に逃げ込むのに、こんな日に限って彼女は留守だった。というか今日、この寮には私以外に誰もいない。ただでさえ少ない仲間たちは、夏の繁忙期のために根こそぎ任務に駆り出されている。こんなことなら私も泊まりの地方遠征とかに就きたかったな。

どんどん強くなる雨足と近づいてくる雷鳴に、私はなす術もなくソファの上で膝を抱えた。呪霊はいいが雷は苦手だ。だって対処法がないんだもん。雷サマに目をつけられたら最後、一瞬で貫かれておしまいなのだ。いきなり天から降ってきた電気の矢に射抜かれて死ぬなんて、考えたくもない。

想像したらいよいよ恐ろしくなってきて、私は意味もなく携帯を取り出した。誰からもメールはない。いっそ電話しちゃおうかな。……硝子さん、起こしたら怒るだろうなあ。

「ああもう、誰でもいいから帰って来てよ〜……五条さん、最悪五条さんでもいいから……」

連絡先をつらつらと眺めていると、傍若無人な振る舞いに定評のある先輩の名前が目に留まる。

そういえば、前に任務先でひどい雷雨に遭ったことがあったな。あのときは五条さんと一緒だった。半泣きになった私を見て、ガキかよってげらげら笑っていたっけ。思い出すだに腹立たしい。やっぱナシ。五条さんはナシで――

「俺が何だって?」
「!?」

突然、聞こえるはずのない声がして、私は危うくソファから転げ落ちそうになった。人恋しさのあまり幻聴が聞こえたのかと思ったが、振り返った先にはちゃんと生身の人間がいた。しかも、さっき思い浮かべた通りの。

「ご、ごじょうさん……!」
「まだ起きてたのお前」

談話室の入り口に立った五条さんは、小さな頭をこてんと傾げて私を見た。さらさらと流れる白い髪には雨粒ひとつ付いていない。無下限って便利だな、などと間抜けなことを思っているうちに、コンパスみたいな長い脚がたった三歩で私の目の前までやってくる。こちらを見下ろす五条さんは、なぜか訳知り顔でにんまりと笑っていた。

「もしかして俺の帰り待ってた?」
「いえ全然ちがいますけど、結果的にそうなりました」
「あ?」
「なんで睨むんですか!」

五条さんの口角は一瞬で降下した。急にドスの効いた声を出さないでほしい。雷と相まって迫力がありすぎる。ポケットに手突っ込んでて、ヤンキーみたいだし。

「……今日泊まりって言ってませんでした?」
「は、優秀すぎて一日で終わっちゃったわ」
「でももう夜中の一時ですよ」

泊まってきたほうがよかったんじゃ、と言いかけた私に、五条さんは不満げにくしゃりと顔を顰めた。

「お前さ、この俺が帰ってきてやったのにさっきから何その態度。土下座して感謝しろよ」
「五条悟の押し売りやめてくださいよ」

こうなるともう素直におかえりを言うのも癪で、私はぷいとそっぽを向いた。これが五条さんでなかったら迷わず飛びついて喜んでいる。でもこの人に弱みを握られるのは危険だ。末代まで笑い種にされるか、それをエサにいいようにこき使われるに決まっている。五条悟とはそういう人間だと、入学してからこちら嫌というほど叩き込まれているのだ。

ここは適当におだてつつ、五条さんの好きな映画とかで釣って朝まで引き留めよう。そんな打算的なことを考えながら遥か頭上にある彼の顔を見上げたところで、私は面食らった。

「……もっと喜ぶかと思ったのに」

つんと尖らした唇で五条さんが言った。でっかい図体がしぼんで見えるようなしおらしい声だった。なんですか、その親に怒られた子供みたいな情けない顔。あの五条悟が、唯我独尊を地で行く男が、後輩にちょっと素っ気なくされたくらいでそんな顔する?

拗ねた瞳が妙にチクチクと胸に刺さって、自分がものすごく酷いことを言ってしまったみたいな気分になる。なんと返せばいいのかわからなくて口籠もっていると、五条さんは憮然とした顔のまま低い声で呟いた。

「泣いてるかと思って、急いで帰ってきたのにさあ」
「え、」

どういう意味ですか。かろうじて尋ねようと口を開いた矢先、耳をつんざくような轟音が響いた。見えない何かにふうっと息を吹きかけられたかのように、部屋中の灯りが一気に消える。

「ぎゃあああちょっと待って消え、五条さん!!」
「うるっさ。ただの停電だろ」
「なんでそんな落ち着いてるんです!?」
「だって俺見えるもーん」
「ずるい! 目玉貸してくださいよ!!」
「呪術界の宝を双眼鏡みたいに言うなっての」

うろたえる私の頭に、ふわりと触れるものがあった。五条さんの手だ、と気づいた直後、その姿が暗闇にぼんやり浮かび上がる。もう片方の手の中で、携帯が小さな明かりを灯していた。それをテーブルの上にそっと置くと、五条さんは私の隣にぽすんと腰を下ろした。

「ないよかマシだろ」
「……ですね」

それきり五条さんは黙ってしまった。いつもうるさいくらいに構ってくるくせに、今日はやけに静かで調子が狂う。五条さんとぎゃーぎゃー言い合っていれば気も紛れると思ったのに。

テレビの音も消えた談話室には、窓を叩く雨音と不穏な雷鳴だけが響いている。部屋が暗い分、明滅する空が余計に恐ろしくて、私は体を縮こまらせた。

……これは、一人じゃなくてよかったかも。いまなら素直にお礼を言えそうな気がしなくもなくて隣を見上げたら、五条さんも同じようにこちらを見ていた。ぱちんと目が合った瞬間、淡く光る瞳に吸い込まれるような感覚がして、言葉が出なくなる。

「まだ怖いの?」
「え、と……」
「じゃあ、」

不意に五条さんの手が私の背後に伸びて、あっと思ったときには、大きなブランケットが私たち二人を頭からすっぽりと覆っていた。誰かが置き去りにしていったその薄青色の布は少し埃っぽくて、でもなんだか懐かしいような、優しいにおいを纏っていた。

「――俺だけ見てれば」

ぽつりと零すように言って、五条さんは大きなふたつの手のひらで私の両耳を隠すように包み込んだ。鼓膜を揺るがしていた雷の音がふっと遠くなる。息を呑んだ私に、五条さんはただやわく目を細めた。

(……五条さんのくせに)

その眼差しがあまりにまっすぐだから、触れる手がやけにあたたかいから、そんな理由をつけて、私はもう何も考えないことにしてゆるく目を閉じた。彼のものか、自分のものか、さらさらと血の流れる音がする。まるで、雨も雷も届かない静かな水底を、二人きりで漂っているみたいに思えた。

「ナマエ」

数秒か、数分か、穏やかに時が流れた後で、薄い膜越しに響いてくるようなぼんやりとした声が私を呼んだ。かさついた親指に下瞼をそっと撫でられ、ゆっくり目を開ける。深く深く澄んだ青がふたつ、柔らかな光を湛えてこちらを見ていた。

「――――、」
「え……?」

囁かれた言葉は小さくて、遠く響く雷鳴に掻き消されてしまう。

「な、なんですか? 聞こえなかっ……」

聞き返す自分の声が耳の内で反響する。五条さんは薄く口を開いまま、何も言わなかった。代わりに、私の耳を覆っていた両手がするりと動いて頬に添えられる。は、と短く息を吐く合間にはもう、唇が触れそうな距離まで五条さんの顔が近づいていた。

キスされる。そう思って、反射的に目を瞑った。
ぎゅっと皺を寄せた私の鼻の頭に、五条さんはかぷりと齧りついた。思わず小さく悲鳴を上げた唇を、ふわりと笑う彼の吐息が掠めていく。

「――教えてやらないよ」

お砂糖漬けにしたみたいに甘ったるい瞳で見つめられたらもう、雨のことも雷のことも、一分後の未来のことさえも、到底考えられそうになかった。

弱虫と砂糖菓子

 


『俺の知らないとこで泣くなよ』

お題:雷 or 霊的なものに怯える年下夢主を安心させてくれる五条さん/kk様
可愛らしいお題をありがとうございました!高専五条さんで書かせていただきました。

Title by エナメル