※家入視点
※夢主がモブとお付き合いしている設定です
「信っっっじらんない!!」
ナマエがキレた。
鬼のような形相で、私の目の前に座る男からスマートフォンをひったくる。必死に画面をなぞっているけれど、多分もう手遅れだ。ご愁傷様。
「ちょっと待ってメッセージ送れないし電話も繋がらないんだけど? は?」
「ウケる。着拒されたんでしょ」
「はああああ!?」
着拒の原因を作った張本人――五条は呑気なものだった。無駄に上手い鼻歌を歌いながら、頭の後ろで手を組んでゆらゆらと体を揺らしている。いまにも術式を発動させそうなナマエがこのまま彼を八つ裂きにしたとて、誰も文句は言わないだろう。
事の発端はつい五分ほど前だ。
今日は仕事終わりに三人で飲みに来た。行きつけの居酒屋の個室に入り、女ふたりはビール、五条はメロンソーダをガブ飲みして一時間ほどが経った頃、ナマエが洗面所に立った。
危ないな、とは思った。五条の隣に座っていたナマエは、自身のスマートフォンをテーブルの上に置き去りにして席を離れたのだ。五条の目がついとそれを一瞥したとき、無防備な友人に警告しなかった私も責められて然るべきなのかもしれない。
折しもそこに、一件の着信が入った。これはもう不幸な事故としか言いようがなかった。さらに悪いことに、電話をかけてきた相手はナマエの彼氏だった。つい二ヶ月前に付き合い始めたばかりだったはずだ。
――ああ我が友人よ。君はとことん神に見放されているらしい。
持ち主不在のスマートフォンを、五条はためらう素振りも見せずに拾い上げて自らの耳に当てた。その口元がにやりと弧を描いていくのを、私はただ眺めていた。あとでナマエにどう言い訳しようかな、なんて考えながら。
「――え? ナマエなら僕の隣で寝てるけど」
五条が清々しいほどの嘘を電話口に流し込んだとき、個室の引き戸が開いた。
「あ」
「え」
思わず声を上げた私を見、次いで見覚えのあるスマホを手にニヤニヤしている五条を見、そしてたったいま彼の口から放たれた言葉を頭の中で反芻したであろうナマエは、一瞬にして顔を真っ赤に染めた。もちろん怒りで。
「信じらんない信じらんない信じらんない何してくれてんの!?」
「え、自己紹介してちょっと喋っただけだけど」
「自己紹介!?」
「『ナマエちゃんと仲良しの五条悟でぇ〜す』って」
「マジで馬ッ鹿じゃないの!?」
五条の手からもぎ取ったスマホを、ナマエが慌てて耳に当てる。もしもし、という上擦った声に、返答はないようだった。
「……切れてる……」
「向こうが切ったんだよ」
僕のせいじゃないよ、と五条は両手を挙げた。どう考えてもお前のせいだろ。
ナマエの手の中のスマホは、役目を終えたとばかりに画面の光を落とした。沈黙するそれを呆然と眺めた後、今度は電光石火の速さでナマエがこちらを振り向く。そんな目で見られても。
「…………硝子ッ!!」
「私が言ってやめるやつだと思うか?」
肩をすくめて言ってやると、ナマエは押し黙った。何しろ相手が相手なので、止めろというのも無理な話だとわかっているはずだ。ここで第三者に八つ当たりしてこないところが彼女の美点だと私は思う。まあ、それが五条に付け込まれる所以なのかもしれないが。
「もう無理だと思うよ〜? 相手、絶句してたし」
「うるさい黙れ散れ」
すげなく一蹴されたとて、この男にはどこ吹く風だ。無言で席についてスマホにかじり付くナマエの隣で「ねえねえ連絡取れた?」とせっついては無視され、というのを飽きることもなく延々と繰り返している。このふたりの関係性は、学生時代からまったく変わっていない。
ナマエは昔から不器用なやつだった。
根は優しくて真面目なくせに、なまじ呪術師などを志したせいで“ドライな女”の鎧を着ることになってしまった憐れな友人。その影で彼女が流す涙に、私はずっと気がつかないフリをしてきた。それが呪術師としての彼女への最大限の敬意だと思っていた。
けれど、私たちだってもういい大人だ。少しばかり肩の力を抜いてもいいのにと、彼女を見ていて心配になることもある。
「……君たちは、足して割ったらちょうどいいのかもな」
飲みかけのジョッキを揺らしながら呟けば、せわしなくスマホをいじっていたナマエがぴたりと手を止めて私を睨んだ。おお怖い。低級呪霊くらいならその視線だけで軽く祓えそうな迫力だ。
対して五条は、上機嫌でナマエの椅子の背もたれに腕を回し、にんまりと口の端を吊り上げて彼女の顔を覗き込んだ。こいつを喜ばせてしまったのは不覚だったな。
「だってよナマエ。どうする? 付き合っちゃう?」
「消えて」
「ひっどー」
けらけらと笑う五条は、ナマエの絶対零度の声音など気にも留めない。
案外うまくやれそうじゃないか、という言葉は口に出さずにおいた。貴重な酒飲み仲間に絶縁されたら困るし。
「んなことより五条くん、これはどうオトシマエつけてくれるのかなあ?」
「どこのチンピラ? てかスマホ放置してくほうが悪くない?」
「普通の人間は他人の電話に勝手に出ねえんだよ」
「あ、ごっめーん! 僕、普通じゃなくて特別だから」
きゃぴ、と効果音がつきそうな仕草でのたまった五条の椅子の脚を、ナマエは渾身の力で蹴りつけた。けれど、見た目より遥かに重いこの男の体はびくともしない。「きゃーこわーい」などと裏返った声が聞こえ、虫唾が走るだけだ。
「そいつに一発入れる前に店が壊れるぞ、ナマエ」
「……うう」
たしなめる私に対し、顔を顰めたナマエは、返事ともつかない呻き声を上げて手の中のスマホに視線を落とした。再び明るく浮かび上がる画面には、仲睦まじく寄り添う男女ふたりの笑顔が映っている。まあさすがに、こんな幕切れでは未練も残るだろう。
それにしても、だ。それを横目で見やる五条の顔ときたら。みるみる急降下していく口元に、私は呆れを通り越して笑いを堪えるのに大変苦労した。しおらしく謝罪の言葉のひとつでも吐いておけばいいものを、その口でどうせまた余計なことを言うのだ。
「つーかさあ、一般人と付き合うとか正気?」
「私が誰と付き合おうが五条に関係ないでしょ」
「しかもあんな嘘で簡単に騙されるザコ」
「クッソこいつどの口で……!」
「三下相手にイイオンナぶるのって楽しい?」
「あんたねえ!!」
分厚いメニューブックで殴りかかろうとしたナマエの攻撃は、五条の無限にすら触れることはなかった。その両手をいとも簡単に捕らえた五条が、勝ち誇った顔で顎をそらす。
「まあ、もう終わった相手だし、関係ないか」
「こんのクズが……ッ!!」
ナマエの唇が屈辱にわなないた。あの五条悟相手にムキになって立ち向かっていくところも、昔から変わっていない。思えばナマエがこれほどストレートに感情を発露する相手は、五条ひとりだけかもしれなかった。
「五条は私になんか恨みでもあるわけ!?」
「べっつに〜?」
「じゃあ何が楽しくてこんなことすんの!」
面白半分でふたりを眺めていた私は、しかしそこでビールを飲む手を止めることになった。
噛み付くようにナマエが言い放った瞬間、五条の顔からふっと笑みが消えた。口を噤んだナマエが息を呑む気配がする。五条は凪いだ水面のように静かな瞳でナマエを見た。私も、おそらくナマエも知らなかった、知りたくもなかった、痛ましいくらい透明な瞳だった。
「……好きだから。ナマエのこと」
居酒屋の喧騒も遠く聞こえるほどに、凛と響き渡る声で五条が言った。数秒かけてあんぐりと開いたナマエの口から、間抜けな音が漏れる。
「…………は?」
「ヤキモチ妬いちゃった」
ごめんね?
照れくさそうに眉を下げてナマエのほうを窺う五条は、まるで無垢な少年だった。きらきらが飛んできて目を射られそうだ。思わずしばしばと瞬きをした後でナマエの顔を見た私は、今度はまた別の意味で目を覆いたくなった。
ナマエのふっくらとした頬がじわじわ紅潮していく。目をまんまるく見開いて固まった彼女は、しまいには見ているこっちが恥ずかしくなるくらい首元まで真っ赤に染まってしまった。
……あらま、これはこれは。
ひゅうと口笛を吹きたくなるのを我慢して、私はもう一度五条に視線を戻した。そして落胆した。腹が立つほど美しい形をした唇が、またしてもいやらしく歪んでいく様を目撃してしまったからだ。あーあ、せっかくいいところまで行ったのに。
「――って言ったら、許してくれる?」
およそこの世のものとは思えない邪悪な笑みだった。一瞬忘れかけていたが、そうだ、こいつは真性のクズなのだった。
可哀想なナマエは口を開けたまま真っ青になって、かと思えば再び真っ赤になった。全身がわなわなと震えている。無理もない。
「最っっっっ低!!!!」
叫ぶが早いか、ナマエは荷物を引っ掴んで居酒屋を飛び出していった。あとで電話してやらないと、あれは当分家から出てこないかもしれないな。ぬるくなったナマエのジョッキに手を伸ばしながら、目一杯の呆れを込めて溜息をつく。
「大概にしないと本当に嫌われるぞ」
「はは、大丈夫でしょ。あの顔見たら」
後を追うでもなく、五条は鷹揚な仕草で足を組み直してくつくつと笑った。随分と余裕だ。
「さすが、十年越しのストーカーは言うことが違うな」
「十年越しはあっちもだろ?」
まったく自覚ないみたいだけど、と言ってのけるこいつは、やはりすこぶる性格が悪い。大事にしろよなんてありきたりな台詞を口にしかけたところで、私は結局なにも言わずに煙草に火をつけた。
「――さて、どう泣かせてやろうか」
舌なめずりでもしそうなその顔を見ながら、憐れなナマエの行く末を思う。
ああ我が友人よ。この男に目をつけられたのが君の運の尽きだ。
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五条さんの前だと素が出てしまう女の子と、なんだかんだお似合いかもな〜と思っている家入さんと、容赦なく鎧をひっぺがしにいく五条さん。
Title by 大佐