※高専時代
※ちょっと長いです
「ねえ硝子」
「うん」
「……私、五条のこと好きかもしれない」
「知ってる」
「……え!?」
「知ってる」
思わず素っ頓狂な声を上げた私に、硝子は艶然と微笑んでみせた。右目の下にちょこんと乗っかった泣きぼくろがいつ見てもセクシーだ。で、知ってるって、なに。
「……それって、どういう」
「むしろバレてないと思ってたの? ウケる」
「な、なにが」
「五条のことが好きでたまらないって顔」
「……!!」
私は今度こそ絶句した。意味がないとわかっていても、自分の頬を両手で隠してみる。私、いつそんな顔してたっけ。
「ナマエのことは好きだけど、男の趣味だけはまじでグロいと思ってるよ」
「それって人の好みに対して使う形容詞なの」
硝子はからからと笑ったあと、私から遠ざけるように顔を背けて紫煙を吐いた。
二人でショッピングに出かけた帰り道、私たちは小洒落たカフェのテラス席で向かい合っていた。澄んだ秋晴れの青空の下、吹き抜ける風が心地良い。なのに私の気分はもうどん底だった。
ここ最近、私はずっと胸につかえるものを感じていた。それが怪我とか病気とかそういうんじゃないことくらいは、いくら鈍い私でも理解できた。だってそれは決まって、とある人物に関する場面でだけ起きる。同級生の、背の高い、綺麗な青い目をした男の子。つまり私は、五条悟に恋をしているのだと。
そう気がついたところで、私は絶望した。よりによってあの五条。名家の御曹司で、最強の呪術師で、おまけに嘘みたいに容姿端麗で、一体お前は神様にどんな賄賂を贈ったんだと文句すら言いたくなってしまう。ゲームや漫画の世界だったら、伝説の英雄か救国の王子さまか魔王だ。いずれにしても、私みたいなド平民が想いを寄せたところで叶うはずがない。
だから私は早々にその想いを捨て去ろうとした。けれど、毎日のように顔を合わせる関係の上ではどだい無理な話だ。むしろ恋心を自覚した途端、五条の一挙手一投足までが気になり始めてしまって、私はひとり勝手に墓穴を掘り続けている状態だった。だからこうして一世一代の相談をするつもりで、仲良しの硝子に打ち明けたのだ。
「……もしかして、本人にもバレてる……?」
「さあ。私が見る限りでは気づいてなさそうだけど」
「よかったぁ……」
それが本当ならせめてもの救いだった。こんなことが知れてしまったら私の人生おしまいだ。平和な、とは言いがたいけれど、同級生として過ごせる学校生活や、おそらくこれからも続いていくであろう仕事仲間としての日々に、波風を立てたくはない。呪術界は驚くほど狭いのだ。
そうやって深刻に悩んでいる私に対し、目の前の友人の態度はあっけらかんとしたものだった。
「告白すればいいじゃん」
「は!? むりむりむりむりむり!! あとでどんな悲惨なことになるか……!」
「なんで振られる前提?」
「あの五条が私のことなんか相手にするわけないでしょ!」
「どの五条かは知らないけど」
つまんね、と口を尖らせた硝子を睨んでやった。わかってるくせに。意地悪なところは五条と似たり寄ったりだ。なんか私の同級生、みんな性格悪くない?
……でも、そんな性格の悪い五条を好きになってしまったのは他ならぬ私だ。
大したきっかけはなかった。ただある時ふと、五条の笑った顔が好きだな、と思った。
綺麗な顔が台無しになるくらい目を窄めて、大きく口を開けて子供みたいに笑う顔。夏油や硝子や七海や、本当に心を許した相手といるときにだけ見せるその屈託のない笑顔に、私はなぜだかひどく胸を打たれたのだった。
五条悟でもあんな風に笑うんだなあと、そう気づいたときにはもう手遅れだったのだと思う。
今どき少女漫画でも流行らない、不良少年が捨て猫を拾ってるところを見てきゅんとしちゃうみたいな、そんな軽率さで私は恋に落ちた。そして同時に、その笑顔が自分に向けられることはきっとないのだろうということも、残念ながら理解した。
「……五条って、私にはちょっと冷たい気がするんだよね」
「例えば?」
「こないだ3年の先輩と組手してたら割り込んできて、相手取られたし」
「ああ、あれか」
「雑魚の組手なんか俺に見せてんじゃねえよみたいな顔してた」
「ぷふっ……あ、ごめん」
こらえきれずといった風で笑いをこぼした硝子に、私はぶうと頬を膨らませた。些細なことで一喜一憂する私に比べ、どんなときでも凛として立つ硝子が羨ましかった。
夏油みたいに強かったら、硝子みたいに揺るぎない自分があったなら、私も五条と肩を並べることができたのかな。
規格外の同級生たちの中にあって、私だけが異質なほど平凡だ。それでも、だから、私は彼らが好きだし、五条が好きなのだけど。
「……ナマエはさ、もう少し自分に自信を持ったほうがいい」
ふわりと優しく目を細めて硝子が言う。紫煙が彼女の背後を舞って、絵本の世界のように幻想的だった。
自信。そんなもの、持とうと思って持てるならそうしたかった。
口を噤んだ私に硝子は小さく笑って、でもそれ以上言葉を重ねることはなかった。代わりに携帯の小さな画面を私に向けて、いつもの調子で言った。
「ねえ、この映画観たいんだけど」
「『バイオアワード3』? これ怖いやつじゃん……」
「終わったらパンケーキ付き合うからさ」
「ええ〜……」
迷ったけれど、甘いものが苦手な硝子がパンケーキに付き合ってくれる機会は貴重だ。私は手帳を開いて、週末の予定を書き込んだ。
そして次の日曜日、硝子と約束した映画館の前に立った私に、信じられない出来事が降りかかった。
「なん、なんで、いるの……」
「こっちのセリフだよ」
上映十分前になっても現れない硝子に、嫌な予感はしていた。今朝、「直前に用事入ったから現地集合でよろしく」とメールしてきた彼女から、その後の連絡はない。任務ではなくちょっとした買い物だと言っていたし、そもそも遅れるならきちんと連絡を寄越す子だ。
果たしてそこに不機嫌そうな顔で現れたのは、五条悟その人だった。黒のジーンズにパーカーという適当な服装にも関わらず、そのままファッション誌の撮影が始まっても違和感がないくらいサマになっている。道行く女の子たちの視線が痛かった。
「私は硝子と……」
「……あっそ。俺も傑と待ち合わせ」
「……もしかして『バイオアワード3』……?」
「………」
「……ふ、二人とも、遅いね……」
無言で数秒見つめ合った後、お互いに待ち合わせ相手の携帯を鳴らす。早く出てお願い。この空気耐えられない。
私の願いも虚しく、電話はやがて留守電に繋がった。それと同時に、メールの受信を告げて携帯が震える。
『ガンバレ』
文面はそれだけだった。裏切り。そんな言葉が私の脳裏をよぎった。
「………帰ったらマジでぶん殴る……」
五条が携帯を握り潰さんばかりに拳を震わせているのを見て、終わった、と思った。硝子、嘘でしょ、信じてたのに。あろうことか夏油までもがグルになって、いたいけな私を五条と二人きりにして面白がっているのだ。何と引き換えにしたらこんな非道なことができるのだろうと考えて、あの悪魔のような連中の暇つぶし以外の何物でもないと悟った。帰ったら私もビンタくらいしていいかな。
「……あー、もう始まるし、観る?」
諦めたように溜息をついた五条に、私は黙って頷くしかなかった。
そのおよそ二時間半後、つまり今、私は五条の向かいで悄然とパンケーキを見つめている。
さっき観た映画の内容はほとんど覚えていない。五条と一緒に劇場に入ったところで、事前に予約していた自分の席に向かおうとしたら「いいからこっち座れよ」と強引に隣に座らされた。それだけで私の頭はパンクしてしまったのだ。
……そういうことをするから、私はいつまで経っても引きずってしまうんですけど。
恨めしさを込めてちらりと視線を上げると、五条は頬杖をついてじっとこちらを見ていた。いつの間にかサングラスを外していて、晒け出された素顔にどきりとする。
「食わねーの?」
「た、食べる」
慌ててフォークとナイフを手に取る。そんなにまじまじと見ないでほしい。ナイフってどうやって使うんだっけ。私いつもどうやって食べてたっけ。
目の前のパンケーキを、小動物のエサかというくらい小さく切り分けていく。そうしていないと沈黙に耐えられそうになかった。五条はそんな私をとっくりと眺めてから、ようやく口を開いた。
「……ナマエってさ、俺のこと嫌い?」
予想外の言葉に、私はナイフを取り落としそうになる。五条はいつになく真剣な面持ちで私の返事を待っていた。え、これ私、何か試されてる?
「えっ、と……」
嫌いなわけない。喉まで出かけた言葉をなんとか飲み込んで、私は再びパンケーキに視線を落とした。どう答えたらいいのかわからない。このまま五条の目を見ていたら、言わなくていいことまでぜんぶ白状してしまいそうだった。
「ご、五条こそ、私のこと嫌いでしょ」
「は? なんで」
「……なんかいつも素っ気ないし」
「いやそれはさあ……」
今度は五条が口を噤んだので、私は不審に思って顔を上げた。こんな風に言い淀む五条は珍しい。いつも歯に着せる衣なんて破って捨てましたみたいな喋り方するくせに。よっぽどひどい悪口でも言われるのかと身構えていたら、まったく斜め上の答えが来て、私は言葉を失った。
「俺にも恥じらいってもんがあんの」
「………なにそれ」
「くっそ、どんだけ鈍いんだよお前」
ぐしゃりと髪を掻き上げた直後、五条は思い切ったみたいにこちらへ身を乗り出してきた。前髪が触れそうになって、私は思わず体を引いてしまう。間近に迫ったその頬は、いつもより赤みを帯びて見えた。青い瞳が揺らめいている。私が何も言えずにいると、五条は痛みにでも耐えるようにその大きな目をきゅっと細めた。
「わかれよ」
初めて聞く切実な声に、心臓がどくんと大きく脈打った。
恥じらいって、なに。なんでそんな顔するの。なんでそんな目で見るの。それじゃあまるで、
「わかん、ないよ」
こらえきれずに俯いたら、銀色のナイフに映り込んだ自分の顔が見えた。今の五条とそっくりに目を細めた、でももっと真っ赤な顔が。
「お前さあ、馬鹿だろ」
ぼそっと呟いた五条の声にも、肩がぴくりと跳ねてしまう。私はもうひたすら下を向いて、膝の上でぎゅっと手を握っていた。だってありえない。ありえない。
「……そーゆー顔されると、期待しちゃうんだけど?」
それはこっちのセリフだと言いたい。五条の長い指がそろりと伸びてきて、私の顎に触れた。まるで花でも愛でるような優しい仕草に、切なさで死んでしまいそうだった。
「ナマエ、」
五条が私の名前を呼んだ。パンケーキの上を流れるシロップみたいな、とびきり甘い声だった。
ねえ、こんな少女漫画みたいなことってある?
「硝子、一枚噛まないかい?」
「のった」
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自分には何の取り柄もないと悩んでる女の子と、そういう平凡なところが愛おしいと思う同級生たち。
Title by 天文学