サファイアの愛と心臓

カーテンの隙間から差し込む光に目を細めた。空気はしんと冷えて、薄灰色の冬の底にいるような静かな朝だった。

剥き出しの肩が寒くて布団を引き寄せる。だるい体をベッドから引き剥がすようにして寝返りを打つと、柔らかな白銀が目に入った。チラチラと埃が踊る光の帯の向こうに、まだ眠ったままの男の顔がある。

白いシーツの海に埋もれて眠る悟は、神様が大事に大事に作り上げたガラス細工のように繊細で、現実味がない。本当にそこに存在しているのか確かめたくて、まだぼんやりした頭のまま、私は手を伸ばした。

悟とは数えきれないほどの朝を一緒に迎えてきたけれど、目覚めるときの感覚はいつも同じだ。ふわふわして、夢見心地で、少しさみしい。

白い肌に触れると、指先からぬるい温度が伝わってきた。たしかに生きている。そのまますべらかな頬を撫で、白い髪の間に指を沈める。細くて柔らかいその髪をゆっくり梳いてやれば、悟が微かに身じろぎをした。

「——ん、……」

掠れた声が愛おしくてまた触れたくなる。壊さないようにそっと、爪の先で白い睫毛を弾いた。その下に隠された青い瞳を想像する。ゆるく閉じられた瞼は、宝箱の蓋みたいだ。

私は悟の寝顔が好きだ。最強の男が、私の前でだけ見せる無防備な顔。いつも人を喰ったような笑みばかり貼り付けた男の無垢な顔。月の裏側を覗き見ているような優越感と背徳感で、私の心は満たされた。

「……ナマエ、」

薄い唇から私の名前が零れ落ちると同時に、青い宝石がゆっくりと姿を現した。まどろみから覚醒しきらないままのそれは、朝日に鈍く輝いてとても綺麗だ。

「……僕の寝顔をこんなに近くで眺めるなんて、贅沢な子だね」
「うん。アラブの石油王にも負けないくらいリッチな気分」
「そこはせめて女王にしてくれないかなあ」

おどけた口調とは裏腹に、寝起きとは思えない力強さで引き寄せられ、私の体はあっという間に悟の腕の中におさまった。触れ合う素肌があたたかくて気持ちいい。悟の肌はどこもかしこもすべすべで、いつまでもくっついていたくなる。

「アラブの石油女王相手でも浮気はだめだよ、悟」
「しないよ。ナマエに呪われそうだもん」
「……私ってそんなに怖い?」
「とっても怖くて、同じくらい可愛いよ」

悟は囁くように言って、私を抱きすくめた。ぎゅうと力を込めながら首筋に鼻をくっつけてくる。湿った吐息がかかってくすぐったかった。

「私が呪いになったら、痛くないように祓ってね」
「僕が痛くすると思う?」
「……思う」
「はは、ひっど」

悟は軽薄に笑って、罰だとばかりに私の鎖骨を噛んだ。こういうときの悟は容赦がないから、私の肌にはすぐに赤い痕がついた。

「ほら、痛くするもん」
「いまのはナマエが悪い」

顔を上げた悟は珍しく拗ねた表情をしていた。背ばかり高くて目隠しまでしているから普段は分からないけれど、この人は存外に幼い顔つきをしている。宥めるように後頭部を優しく撫でてやれば、気持ちよさそうに目を閉じた。

「……ねえ悟」
「ん?」

その少年のような無邪気さの奥にある破滅的なまでの強さを想うとき、私はいつも言い知れぬ不安に襲われた。それがなんなのか、言葉にすることはできなかった。ただ、私のそばで眠る悟をなににも奪われたくないと思った。

「どこにもいかないでね」

私が悟を呪わないように、ちゃんと見張っていてよ。

でたらめな口実を吐けば、悟はその青い目を見開いた。その瞳に吸い込まれて溺れ死ぬのもいいな、などと荒唐無稽なストーリーを思い描く。その海はどんな味がするのだろう。きっと砂糖水のように甘いんだろうな。

「……あのさあ」

しょうもない妄想に浸っていたら、おもむろに上体を起こした悟が覆い被さってきた。両手を痛いくらいに掴まれてシーツに縫い付けられる。そんなことしなくたって、逃げたりなんかしないのに。

「……さとる、」
「どの口でそんなこと言えるのかな」

悟の声は少し怒っているようだった。そんな声を聞いたのは初めてだ。狡猾そうに吊り上がった口元にぞくりとする。今日はレアな悟がたくさん見られてお得な日だ。

「僕がどれだけお前のこと愛してるか、知らないの?」

悟ははっきりとした口調でそう言った。怖いくらいに冴えた青が私を見下ろしている。それだけで、単純な私の胸はいっぱいになる、はずだった。なのに、どこかに穴が空いているみたいにそれはすぐ流れ去ってしまう。気がつけばまた私は悟を欲しがっている。

「……しらない」
「マジで言ってる? けっこう大事にしてるつもりなんだけど」

傷つくなあ、と芝居がかった仕草で眉尻を下げた悟は、本当に傷ついたような目をしていた。思わず手を伸ばしたくなったけれど、手首を掴まれたままだから、代わりに目一杯の愛を声に乗せた。

「……しらない、から、教えてよ」

もっともっと、溢れるくらいに悟で満たし続けて欲しい。じゃないと、貪欲な私はすぐに涸れてしまう。

願いを込めて真っ直ぐに見上げれば、悟は一瞬だけ目を伏せた。

「……煽ったのナマエだからね」
「え、」

長い睫毛の下から再び現れた青い瞳が、激しく燃え上がるのを見た。獲物を狩る獣のように本能を剥き出しにした悟は恐ろしいほど艶美だ。あからさまな劣情を孕んだ視線を浴びれば、期待感に背筋が粟立った。

「——二度とそんな口叩けないように、わからせてやるよ」

そして、私の唇に噛み付いた。

サファイアの愛と心臓

泣いて嫌がったって、離してあげないよ

 

 


好きな子の前だとムキになっちゃう五条さん。

Title by 天文学