最果ての星を喰っちまえ

※伏黒視点

 

 

いつの頃からだったか、気が付けばミョウジナマエのことばかりを考えるようになった。例えば電車の窓から見えた夕焼けをあいつにも見せてやりたいとか、さっきの店で流れていたあの曲が好きそうだなとか、雑誌で見た巨大なパフェを目の前にしたらどんな顔をするんだろう、とか。

俺もガキではないから、その感情が何であるかくらい、とっくに理解していた。

「伏黒、あんたナマエのこと見すぎ。キモいわよ」
「……おー」
「否定しねーのかよ」

隣でストレッチをしながら俺に話しかけてきた釘崎は、チッとガラの悪い舌打ちをした。こいつはいつもこんななので、いまさら特に気にすることもない。俺は鍛錬場の入り口の石段に腰掛けて、少し離れた場所で組手をする連中を眺めていた。

ミョウジは虎杖とペアを組んでいた。余裕の表情を浮かべる虎杖に、ミョウジが真剣な顔で掴みかかるのが見える。数回の打ち合いの後、ミョウジの体はくるりと返されて地面に転がった。悔しがるミョウジに虎杖が手を差し伸べて助け起こすところまで目に入り、喉の奥が詰まる思いがした。

「そんなに気になるなら、あんたがナマエと組めばいいでしょうが」

膝の上で頬杖をついたまま動かない俺にイラついたのか、釘崎は睨むような視線を寄越してくる。いまにも懐から金槌を取り出しそうな顔だ。
だが、事は釘崎の言うほど単純ではないのだ。

「……ミョウジって虎杖のこと好きだろ」

口に出して形にしてみると、それは思った以上に胸を刺した。
見ていればわかる。彼女が虎杖に向ける眼差しの中に、同じ呪術師として、同級生としての信頼や親愛の情以外の、どんな気持ちが混じっているのか。

「仮にそうだったとして、あの子がそんな理由で組手の相手選ぶと思ってんの?」

ハッキリとした釘崎の物言いに俺は閉口した。そんなことは百も承知だ。
結界術を得意とするミョウジは物理攻撃に滅法弱い。一方で、こと呪力なしの体術においては、虎杖の右に出る者はいない。だから彼女は虎杖に相手を頼んだ。そこには純粋な向上心があるのみで、下心など微塵も感じられなかった。

「思ってねえからこうやって大人しくしてる」
「だ・か・ら! 虎杖よりも頼られるくらい真剣に強くなれよっつってんのよ馬鹿」

釘崎はそう言うと、あらためて虎杖とミョウジに視線を向けた。あーあまた転がされてる、と呆れたように呟いている。あとで家入さんのところへ連れて行くつもりだろう。こいつはなんだかんだ面倒見が良く、少しとぼけたところのあるミョウジをいつも気にかけている。

俺は釘崎の言葉を頭の中で反芻した。虎杖より、頼られるくらいに。

そうなれたとして——

ミョウジの笑い声が聞こえて、俺の意識は再びそちらへ引っ張られる。虎杖がまた変なモノマネでもしてみせたのだろう。屈託なく笑い合う二人のいる場所は、どこか手の届かないほど遠くの星の景色のように見えた。

釘崎の言う通りになれたとして、果たして俺はミョウジにあんな顔をさせることができるだろうか。答えは考えなくても分かる。

「……虎杖はいい奴だ。俺の出る幕はねーだろ」

善人は善人同士で幸せになっておけばいい。そう思ったら自分でも驚くくらい腑に落ちた。

しかし、そうしてひとりで納得したのも束の間のことだ。

「っはーーー、これだから草食系男子はよォ……」
「は?」

隣から、地獄の蓋でも開いて溢れ出したかのような溜息が漏れた。ゆらりと立ち上がった釘崎は、汚れた白いスニーカーでしかと地面を踏みしめて俺を見下ろしている。その目は太陽のように爛々と輝いていた。

「逃げてんじゃないわよ」

腰に手を当てて仁王立ちする釘崎から出た台詞を、反射的に否定したくなる。逃げてなどいない。ミョウジはあいつといて幸せそうなんだから、それでいいだろ。

「虎杖はいい奴だから? ナマエを任せても安心安心!って? はッ、どこから目線よ」
「……何が言いたいんだよ」
「相手の幸せ祈るフリして、あんたはただ本気出して負けるのが怖いだけなんだよ」

次々と浴びせられる言葉は、容赦なく俺の頭をぶち抜いた。反論はできなかった。そうだ、確かに俺は怖がっている。これまで少しずつ築いてきた彼女との関係を自ら崩しに行くこと。自分ではうまく彼女を笑わせられないと思い知らされること。だから物分かりよく身を引くふりをして、なかったことにしたかった。見えているものを見えないことになんてできないのに。

「好きなんでしょ? 本気で獲りに行けよ」

顎をそらして言い切る釘崎はあまりにも潔く、こちらの胸の内まで晴らすほどに清々しかった。こんなにあからさまな発破をかけられてじっとしていられるほど、俺は大人しくない。

「……あーくそ」

いつだったか、五条先生に言われたことを思い出す。

『本気でやれ、もっと欲張れ』

呪術以外であの人の言うことを聞くのは本当に癪だが、少しくらいは感謝しても罰は当たらないかもしれない。もちろん、口の悪い同級生にも。

「……釘崎、おまえ男らしすぎ」
「うるせえ。とっとと行け」

ようやく立ち上がった俺の背中を、釘崎はありえないほどの力を込めて叩いた。痛てぇよ。

最果ての星を喰っちまえ

「野薔薇ちゃん。最近伏黒くんがすごい目でこっち見てくる」
「気のせいよ(変なスイッチ押しちゃったかも)」

 


本気で来ない男に友達は渡せない。
伏黒くんは若さゆえの劣等感というか、自分で勝手に線を引いちゃうみたいなとこがあるといいな。

Title by 天文学