花か蝶か流れ星

茹だるような暑さの日だった。

「あ、十円足りない」

自販機を前にして、私は絶望した。

体術の稽古を終えた今、猛烈に喉が乾いていた。目の前のボタンを押しさえすれば、よく冷えたスポーツドリンクがすぐにでも手に入るというのに、財布の中身はもう空だ。この炎天下を寮まで戻らなければならないなんて。

ちょっと泣きそうになっていると、不意に後ろから影が差した。

「……ん」

ちゃりんと音がする。いつの間にそこにいたのか、私の傍らには黒髪の同級生が立っていた。彼は流れるような手つきでドリンクのボタンを押し、重い音を上げて落ちてきたそれを取り出して、私に手渡してくれた。

「ほら」
「伏黒、くん。なんでこれ……」
「いつもそれ飲んでるだろ。……違ったなら奢る」
「や、ちがくない!……ありがとう」
「……おう」

そうして、彼はどこかへ立ち去っていった。

 

その次の日は雨だった。
といっても、朝のうちはまだ降っていなかったし、不覚にも寝坊して天気予報を確認する暇がなかった私は、傘を持たずに出かけてしまった。

昼過ぎに降り出した雨は、任務を終えて高専に戻る頃には土砂降りになっていた。

「降ってきちゃいましたね…… ミョウジさん、傘持ってます?」
「いえ、慌ててたので忘れてきちゃって……」

帰りの車の中で、運転席に座る補助監督さんが気遣わしげに尋ねてくれた。

「我々はこのあと別の任務があるので、高専の前までしかお送りできないんですが……コンビニ寄りましょうか?」
「だ、大丈夫です! 石段ダッシュしますから!」

任務をご一緒した補助監督さんと先輩術師は、私を降ろしたらそのまま次の任務地へ向かうという。
夏場だし、戻ったらすぐに着替えればいいから、濡れても大した問題はないだろう。それに、コンビニの傘って意外と高い。まだまだ少ないお給料を無駄遣いするわけにはいかなかった。

窓を伝う雨粒を眺めながらしばらく過ごしているうちに、高専が近づいてきていた。荷物をまとめて、降りる支度を整える。車のスピードが落ちてきたところで、補助監督さんが「おや」と声を上げた。

「……ミョウジさん、お迎えが来ているみたいですよ」

少し楽しげな声に顔を上げると、ミラーの中で補助監督さんが微笑んでいるのが見えた。お迎え?

「……え、伏黒くん!?」

高専の前で滑らかに停まった車の外には、なぜか伏黒くんが待っていた。
慌てて補助監督さんと先輩術師に挨拶をして、ドアを開ける。外に出た私の頭上に、すかさず伏黒くんが傘を差しかけてくれた。

「どうしてこんなところに……」
「傘、持って行かなかったろ。……先輩から聞いた」
「ええ、わざわざありがとう……! 伏黒くん、忙しいのに」
「……別に忙しくない」

伏黒くんはそのまま傘を私に持たせて、自分はもう一本を開いて歩き出した。
先輩、いつの間に伏黒くんに連絡してくれたんだろう。今度お礼しなくちゃ。

 

そのまた次の日、私はうんうん唸りながら高専の石段を登っていた。

真希さんたちにパシられて、マックを買いに行ってきたのだ。育ち盛りの男子女子パンダの食べる量ときたら半端ない。体力には多少自信があるが、あいにく私の手は2本しかないのだ。両手にこれでもかとぶら下げたビニール袋がガサゴソと鳴っている。これ、着く頃にはぐちゃぐちゃになってるんじゃないの。

だらだらと汗が流れ出て、前髪が額に張り付いているけれど、払うこともできない。蝉の大合唱に耳が押し潰されそうだ。マックの前に私がぐちゃぐちゃになるかもしれない。

「ミョウジ」

ようやく中間あたりまで登ってきた頃、涼やかな声が降ってきた。
仰ぎ見れば、石段の上の方から伏黒くんが駆け降りてくるところだった。

「持つ」

あっという間に目の前までやってきた伏黒くんは、私の手からビニール袋たちを攫っていく。荷物から解放された指の間を、湿った夏の風が通り抜けた。

「あ、ありがとう……! なんでこんなところに、」
「あの人たち、食欲はんぱねえな」

伏黒くんは呆れたように溜息をついて、先に立って石段を登り始めた。慌てて後を追いかける。荷物がなくなって、足取りが軽い。私の質問には答えてくれそうにないけれど、この際なんでもいい。

最近、伏黒くんにはいつも助けてもらっている気がする。困ったときにどこからともなく現れて、助けてくれる。なんだか、昔見たアニメに出てくるような--

「伏黒くんて、お助けヒーローみたいだね」

思ったままを口にしてから、しまったと思った。子供っぽすぎて失礼だったかな。
けれど振り返った伏黒くんは一瞬驚いた顔をしたあと、なんだそれ、と少し困ったように笑ってくれた。

「あ! あの、半分でいいよ、荷物」
「……いや、いい」

花か蝶か流れ星

 

そのまま、先輩たちが待つ寮まで伏黒くんはマックを運んでくれた。マックが届くと聞きつけて来たらしい虎杖くんと野薔薇ちゃんもいて、伏黒くんに偶然会って荷物を持ってもらったのだと話したら、野薔薇ちゃんにはなんだか微妙な顔をされた。

「……あんた、ストーカーには気をつけなさいよ」
「え、うん?」


2日目の先輩術師はグル

Title by 天文学