パステルカラーが似合う未来は

※「ネバーランドゆき水中列車」のその後のお話です
※二人とも成人済み設定
※モブが喋ります

 

 

 

「――はあ?」

地の底を這うような低い声に、私はひくりと頬を引き攣らせた。日曜日の昼下がり、家族連れや若い男女で賑わうファストフード店にはまったくもって場違いな不穏当さだ。元々あまりよろしくない目つきをさらに鋭くしてこちらを睨んでいるのは、私の可愛い後輩、兼、恋人。伏黒恵。なお、ちょっぴりご機嫌斜め。

「ちょっと恵、顔怖いよ」
「誰のせいですか」
「わ、私……?」
「わかってんなら言うことあんだろ」

恵は険しい顔をずいっと突き出し、向かいに座る私を掬い上げるようにして覗き込んだ。誠意を見せろ、なんて言葉まで飛び出してきそうな勢いである。元ヤン怖い。

「だ、だから〜、数合わせで呼ばれただけなんだってば……」
「ただの数合わせで、わざわざ彼氏持ちの女を合コンに呼ぶんですか」
「彼氏できたって報告する前に、数に組み込まれちゃってて……」
「……へえ」
「もちろん断ったんだよ!? 断ったんだけどさあ……」
「……」
「……その、ごめんなさい……」

尻すぼみになっていく私の言葉を聞き終える前に、恵はこの世の終わりみたいなとてつもない溜息をついた。

いわゆる合コン、に誘ってくれたのは、中学時代の同級生だった。呪術師なんて職に就いてからも細々と連絡を取り合ってきた、貴重な一般人の友人である。ここ最近、お互いに忙しくて疎遠気味だった彼女から突然電話が来たのは、三日前のことだ。曰く、『今回は絶対に失敗できない』と。

こんな仕事をしていると縁遠い話のように思えるが、今を盛りと咲き誇る花のごとき女の子たちにとって、二十代の合コンというのはそれひとつが戦場に等しいらしかった。たった一人の運命の人と、その先にある幸福な未来を掴み取るために、全身全霊をかけて臨む戦い。それを前にして『他に頼める子がいないの、お願い』なんて切実な声で頼み込んできた友人のことを、私はどうしても無下にすることができなかったのだ。押し負けたとも言う。

「あんた自分が流されやすいって自覚ねえのか」
「ごめんって〜……でも、いるだけでいいって言われてるから……」
「……いつですか」
「え?」

恵は自身のスマホを手に取って、カレンダーを呼び出した。テーブルの上に晒け出されたそれを覗き込むと、一ヶ月先までびっしり予定が埋まっている。八割は仕事、一割は休暇、残り一割は、私とのデートの約束。相変わらず忙しいなあ、なんて心配に思っていると、恵はいまだ眉間に皺を寄せたまま、でも少しだけ角の取れた声で言った。

「……場所決まったら教えてください」

迎え、行くんで。
ごつごつとした指の背が、私の頬をするりと撫でる。不機嫌と、優しさと、少しの甘さを湛えた瞳が、きゅっと細くなる。……ああもうずるい。そんな顔されたら私、ごめんもありがとうも言えなくなっちゃうよ。

 

ひとつ、お酒を飲まないこと。ひとつ、連絡先を教えないこと。ひとつ、体を触られそうになったら即座に席を立つこと。ひとつ、二次会厳禁。ひとつ、……。

恵から言いつけられたことを頭の中で反芻する。正直、たくさんありすぎて全部は覚えていない。覚えていないが、いまこの状況があまり好ましくないことくらいは、私にもわかる。

「ねえナマエちゃん、二次会行こうよ」
「えーっと……」
「俺もっとナマエちゃんと話したいなー、なんて」
「すみません……明日早くて〜……」
「お願い、ちょっとだけ!」

さりげなく手を取られそうになり、気づいていないフリでなんとか身を捩る。身体の後ろに隠すように結び合わせた手のひらには、たらりと冷や汗が流れた。
ついさっきお開きになった一次会で、向かいに座っていた人だった。長テーブルの隅っこでお人形のようにじっとしていただけの私を、何がどうなったのかはわからないが気に入ってくれたらしい。名前すら覚えていないことは、申し訳なさすぎてさすがに口に出せなかった。

……こういうときって、どう流したらいいんだっけ。頼みの綱の友人は二次会のお店探しに忙しいようで、私の目配せにも気付いてくれない。
思い返せば、いままで学校と仕事関係以外で男の人と接したことなんてほとんどなかった。ナンパだってされたことないし、お付き合いするのも恵が初めてだ。近接攻撃の受け流しなら得意なんだけどなあ、などと無意味なことを考えながら、私はちらっと周囲に視線を走らせた。

賑やかな大通りに、まだ恵の姿は見当たらない。今日は三つも任務入ってるって言ってたもんね。今朝早く、私の住むマンションから出かけて行った後ろ姿を思い出す。何か言いたげに、少しだけ振り返った横顔も。

密かに小さく息を吐く。あんなに忙しい恋人を迎えに来させて、私は何をやってるんだろう。目の前のこの人だって、きっと純粋に好意を向けてくれているのに、ぜんぶ無駄にしてしまう。やっぱり来るべきじゃなかった。無理矢理にでも断らなきゃいけなかった。後悔と罪悪感がもくもくと湧き出して、私の頭の中を埋めていく。

「じゃあせめて連絡先教えてよ!」
「え!? えっと、す、スマホ忘れてきちゃって……!」
「いやいやさっき使ってたじゃん」
「う、あれは違くて、その」
「そんな警戒しないでよ、悪用とかしないからさ。ほら」

スマホ出して、と笑いながら、彼は私の肩に掛かった鞄へと手を伸ばす。だめだもう走って逃げ出すくらいしか思いつかない。その指が私に触れるのが早いか、私の爪先が地面を蹴るのが早いか。よく通る低い声が聞こえたのは、そんなときだった。

「――その人に触らないでもらえますか」

振り向く間もなく、後ろに腕を引かれた。よろけた私の背中を受け止める大きな身体と、少し高い体温。強く握られた手の感触が、パンク寸前だった心をほろほろと解いていく。

「……恵、」
「帰るぞ、ナマエ」

短く告げると、恵は颯爽と私の手を引いて雑踏の中へ紛れ込んだ。ぽかんとしたままこちらを見つめているあの男の人の他には誰も、私がいなくなったことにすら気がつかないくらい、あっという間だった。

 

大通りを抜けて、駅前を通り過ぎても、恵は脇目も振らずに歩き続けた。私はもうひたすら足を動かして着いていくしかなかった。さながらリードに繋がれた子犬のように。もしくは猛犬に引きずられる飼い主のように。
しばらくして、住宅街の片隅に作られたポケットみたいな小さな公園に辿り着くと、恵はようやく足を止めた。かと思えば、振り向きざまにぐっと引き寄せられて、そのままきつく抱きしめられる。浅い呼吸と、いつもより速く刻む心臓の音が、私をすっぽりと包み込んだ。

「……っとに油断も隙もねえ……」
「面目次第もございません……」
「いつもヒラヒラふらふらしてるくせに、なんであれくらい上手く躱せないんですか」
「だ、だって、どうしたらいいかわかんなかったんだもん……」
「はあ?」

いい歳して何言ってんだとでも言いたげな声だ。あけすけすぎる。『はあ?』だけでこんなにいろんな感情を伝えられるのって、もはや恵の特技だと思うよ。だいたいの場合、私にとってはあんまり都合のいい感情じゃないけど。

「……その。レンアイ? 的な? 関係になるの、恵が初めてだから……男の人に免疫、なくて」

正直に白状すると、恵は勢いよく顔を上げて私を見た。怒ったりびっくりしたり、この子は案外に表情豊かだ。でも恵だって学生時代から私を知っているわけだから、そんなに驚くことないはずだけど。
ぱちくりと瞬きをするばかりの私を見つめて数秒後、恵は脱力したように私の肩に額を預けた。お腹の底から搾り出すみたいな、深く長ーい溜息が聞こえる。これってどんな溜息? ひょっとして失礼なやつ? むうと唇を尖らせかけたところで、再び抱き寄せられて口を噤む。背中にゆるく回された腕がなんだか疲れ切っていたから、もう何も言えなかった。

「……恵、ごめんね。もう絶対行かない」
「そうしてください……」
「あのね、でも一個だけ」

もう合コンなんか二度と行かないし、やっぱり私には無縁の世界だと思う。恵も私も、明日からまた呪いを祓って、祓って、生きていく。だけど、だから、少しだけ憧れてしまうことだって、あってもいいよね。

「……結婚とか、普通の幸せとかそういうの、キラキラしてて、ちょっとだけ羨ましかった」

秘密を明かすみたいにぽつりと零すと、恵はなぜだか不機嫌そうにスンと鼻を鳴らした。顰めっ面をくるりと翻し、私の手を引いて歩き出す。あ、この顔知ってる。拗ねてる時の顔だ。

「……そんなもん、どこにいたってできるだろ」

今度はゆっくりと、歩幅を合わせて進んでいく恵の隣で、私はふにゃりと頬を緩ませた。きつく結ばれた手のひらから伝わる熱が、私たちの未来までも温めてくれるような、そんな気がした。

パステルカラーが似合う未来は


学生時代からあの手この手で男関係を排除していたツケを、思わぬところで払うことになった恵くんのお話。

Title by エナメル