あまったれチョコクレープ

※前半モブ視点/後半夢主視点

 

 

「すいませ〜ん」

今日の日差しみたいな、のんびりとした声だった。

「はーい! いらっしゃいませ」

私はちょうど焼き上がったクレープ生地を手早く脇に寄せ、ぱっとカウンターを振り返った。大きく開いたキッチンカーの窓から、真っ黒なサングラスをかけた男の人がこちらを覗き込んでいる。お客さんだ。
その男の人は、ちょっとそこらでは見かけないくらいに背が高いようだった。車高のあるキッチンカーの中にいる私とほとんど目線が変わらない。

「注文いい?」
「はい、どうぞ」

ぱちりと目が合うと(実際はサングラスに阻まれてよく見えないので、合ったような気がしただけだ)、彼は形の良い唇の端をにっこり持ち上げた。まだまだ乾燥が気になる季節だというのに、薄い唇は高級リップの広告かと見紛うほどにしっとり艶めいている。モデルさんか何かかな。

「えーっと。ツナたまサラダひとつと、デラックスチョコバナナスペシャルひとつ」
「かしこまりました」
「チョコバナナのほう、生クリーム追加できます?」
「プラス五十円でできますよ」
「じゃあお願いします。鬼盛りで」
「おにもり」

そんなオプションあったっけ。思わず車内に貼ってあるメニュー表を見やったが、『生クリーム追加 五十円』としか書いていない。視線を戻すと、お兄さんは「そ。鬼盛り」と爽やかな笑顔で重ねた。

「あと、バニラアイスとキャラメルソースといちごスライスとミニチーズケーキと、コーンフレークもトッピングしようかな」
「……あの、元々チョコアイスとソースと、あとミニブラウニーも乗ってますけど、大丈夫ですか?」
「うん、追加で」

お兄さんの声は至って軽やかである。そうなればもう、しがないバイト店員である私は「かしこまりました」と返すほかなかった。出来上がるものはもはやチョコバナナではなくなりそうだが、そこはお客様のお好みなので仕方がない。

当店のクレープはボリューム満点で評判だ。パステルブルーのキッチンカーも可愛くて〝映える〟と、近頃はSNSでなかなかの人気を博している。休みの日ともなれば、家族連れから女子高生まで長蛇の列――のはずだったのだが、今日のお客さんはこのお兄さんでまだ五人目だった。
まあ、そういう日もある。ずいぶん春めいてきたとはいえ、三月の公園はまだまだ肌寒い。お花見にも早いし、綺麗に整えられた芝生の敷地には数えるほどの人影しかなかった。

「ご用意しますので、少々お待ちくださいね」

お会計を済ますと、はーい、と間延びした返事をよこしてお兄さんはぐっと大きく伸びをした。すらりと長い腕が見え、そうすると顔の小ささがいっそう際立つ。やっぱりモデルさんか俳優さんだな、間違いない。

(……さてと)

あとでサインもらおうかな、なんてミーハーな気持ちを削ぎ落とすように丁寧に手を洗う。ここからはクレープ屋さんの腕の見せ所だ。バイト歴五年、いまではこのキッチンカーをひとりで任されるまでになった私の秘めたる力を発揮するときがついに来たようである。

まあるいクレープ生地を広げ、まずはツナたまサラダから作ることにした。千切ったレタスとベビーリーフミックス、細切りのキャベツを敷き詰め、ディッシャーで掬ったツナを重ねていく。半分に切った半熟のゆでたまごは、生地をくるんだときに断面が綺麗に見えるように配置するのがコツだ。最後にあらびきの黒胡椒を散らして、完成。

「お先にツナたまサラダでーす」
「どーも。うまいもんだねえ」
「へへ、ありがとうございます」

手渡したクレープをしげしげと見つめ、お兄さんは嬉しそうに頬を緩めた。

私も人の子なので、褒められればまあ悪い気はしない。あいにく今日の気温ではこの後の客足は伸びそうにないし。せっかくたくさんホイップした生クリームを余らせたら勿体ないし。お客様のご要望だし。……などなど、いろんな口実を考えながらチョコバナナ用の生地を広げて、ぎゅるぎゅるとクリームを絞っていく。別にイケメンで愛想がいいからってサービスするわけじゃない。私は善良なクレープ屋さんなのである。

「お待たせしました。デラックスチョコバナナスペシャル、バニラアイスとキャラメルソースといちごスライスとミニチーズケーキとコーンフレークトッピングで~す」

噛まずに言えた私、すごい。おそらくこのバイト人生で過去一番に大きなクレープを慎重に持ち上げ、窓越しに差し出した。
お兄さんはちょうど後ろを向いて、どこかへ向かって手を振っていた。その視線の先を追っていくと、何十メートルか先、小さな池のほとりに据えられたベンチから、ひとりの女の人がこちらを見ていた。柔らかな陽の光を浴びながら、華奢な手のひらが白いレースのハンカチみたいにひらひらと揺れている。……ああ、なるほど。

「彼女さんの分ですか?」

お兄さんの手に巨大なクレープが渡っていく。甘いもの好きの彼女のために奮発したのかな、いいなあ。両手に持ったクレープを代わりばんこに眺め、お兄さんはにっこりと笑った。

「そうでーす」

 

 

「見て見て、クリーム鬼盛りにしてもらっちゃった〜」

弾んだ声とともに、隣にどっかりと腰を下ろす音がしてベンチが大きく揺れた。足元で芝生をつつきまわっていた鳩たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。私は読みかけの文庫本に丁寧に栞を挟んでから、「よかったねえ」といつもの返事をした。長い脚が我が物顔で芝生の上に投げ出され、その先っぽで真っ白なスニーカーがぴかぴか輝いている。日常の何気ない所作さえ見惚れるほど綺麗なこの人がこういう部分だけ粗暴なのは昔からで、もう慣れっこだった。

視線を向けるまでもなく、目の前にはクレープを持った大きな両手が差し出されていた。一方には半熟たまごの黄色が鮮やかなお惣菜系クレープ。もう一方は。

「……これは、何?」
「デラックスチョコバナナスペシャル、五条悟エディション」
「そっかあ」

溢れんばかりの生クリームの海に浮かぶ島みたいなふたつのアイスクリーム、さらにフルーツやらケーキやらまでくっついている。どこがチョコバナナ?

「お前のはこっちね」
「あ、うん、ありがとう……」

当然のようにたまごのほうを渡されるが、これももう慣れっこである。「ツナたまサラダだよ」どうやらこっちは五条悟エディションではないらしい。ここのクレープはボリューム満点と評判を聞いたのだが、悟くんの手の中にある巨大なチョコバナナクレープ(仮)に比べると、私のツナたまはずいぶん小ぶりに思えた。

「えっと。それは、何をトッピングしたの?」
「バニラアイスとキャラメルソースといちごとチーズケーキと、あとコーンフレーク」

自重でいまにも倒壊してしまいそうなクレープの塔に、悟くんは怪獣みたいな大きな口を開けて齧りついた。ザクザクとコーンフレークが砕ける小気味良い音が響く。春先のゆるやかな風に悟くんの白い髪がふわふわ靡いて、さっき見かけたお散歩中の大きな犬を思い出した。

「美味しい?」
「ん」
「ふふ」

手を伸ばせば、私の指先は簡単に綿毛の海に沈んでいく。するりと指の間を抜ける細い髪が心地よくて何度も撫でていたら、「なに笑ってんの」と倍の力でやり返された。

「食わないの? あ、甘いのがよかった?」
「ううん、なんでもないよ。いただきます」

頬いっぱいにクレープを詰め込んだ悟くんを見ていたらなんだかたまらなくお腹が空いてきて、私もツナたまを一口齧る。ほんのり甘い生地にツナの塩気がちょうどよく、最後に黒胡椒がぴりりと香って、ちょっぴり大人の味がした。

悟くんが何かを食べているところが好きだな、と思うことがよくある。
たまに連れて行ってくれるお高いレストランで向かい合っているときの姿じゃなくって、たとえばこんな晴れた日の公園で齧るクレープとか、真夜中のコンビニで買ったアイスとか、たまの休日にふたりで朝から仕込んだカレーとか、そんな日常のかけらみたいな些細なものを、とびきりのご馳走よりも美味しそうに頬張る姿が好きだった。

だってもしも悟くんが、そういう小さな幸せをこれからもたくさんたくさん食べ続けてくれたなら、それは少しずつ悟くんを形作る骨や肉や血になって、いつしか彼を丸ごと幸せのかたまりに作り変えてくれるかもしれない。そんなおかしなことを私は大真面目に考えたりもするのだった。あわよくば、その中に私のかけらもほんの少しくらい混ざっていたりしないかな、なんて。

「クレープ食べるのなんて、何年ぶりかなあ」
「学生の頃は原宿でよく食ったよね」
「あの頃はお惣菜系なんて絶対頼まなかったけど、食べてみると美味しい」
「僕のチョイス、いいでしょ」
「さすがだねえ」

悟くんはプラスチックのスプーンでアイスといちごを器用に掬うと、ん、と私の口元へ差し出した。おとなしく口を開ければ、滑るように入り込んだスプーンがひんやりとした甘酸っぱさを運んでくる。それが舌の上で溶けて私の体温と同じになるまで、悟くんは眩しそうに目を細めて私を見ていた。

「ね、僕もツナたま食べたいな」
「えー」
「一口」
「悟くんの一口、でっかいからなあ」

あーんと口を開ける悟くんを前に勿体ぶっていると、にゅっと伸びてきた大きな手で手首ごと掴まれ、あっという間にクレープを齧られた。それはもう景気のいい食べっぷりで、ちょっとずつ大事に食べていたクレープは、ショベルカーで削り取られたみたいに無残な形になって私の元へ戻ってきた。

「あーっ! たまご全部食べた!!」
「ん、しょっぱい系もウマイ」
「もお〜……」

むくれた私の唇に、悟くんは誤魔化すみたいに小さくキスをする。そんなもので騙されてやるもんかと思ってはみるものの、きらきらと輝く日差しの中で楽しそうに笑っている顔を見たらなんにも言えなくて、結局いじけたフリをして口をへの字に曲げてみせるだけで終わった。

昔から、悟くんの一口は本当に一口だった試しがない。学食のプリンも、ファミレスのハンバーグも、お蕎麦に乗った海老天も。わかっているのに、私はいつもいつも、こうしてこの人を許してしまうのだ。

「明日の朝ごはんに悟くん特製オムレツ作ってあげるから~」
「……半熟とろとろにしてね?」
「当然でしょ」
「チーズも必ず入れてください」
「まっかせなさーい」

チョコバナナクレープの最後の最後を口に放り込んで、悟くんはやっぱり上機嫌に笑っている。
しょうがない。半熟オムレツに免じて、今日も誤魔化されてあげることにしよう。

あまったれチョコクレープ


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