10

※モブがそこそこ喋ります

 

 

「えーっと、コーヒーにサイダー二本にコーラ、ミネラルウォーター…」

左手に提げたカゴの中を確かめる。みんなの飲み物はこれでオッケー。お菓子と夜食も入れたし、あとは自分の分だけだ。一息ついて、私は店内を見渡した。お客さんは私一人だ。

深夜のコンビニって、なんだかわくわくする。人気のない夜の道端で煌々と明かりを灯す姿は異世界じみているし、色とりどりの商品を並べたショーケースは見ているだけで時間を忘れてしまう。重いカゴを持ち直してから、私はスイーツコーナーへ足を向けた。

(うーん、どれも美味しそう……)

キラキラした宝石みたいなデザートたちに目が眩みそうになる。夜中のスイーツってどうしてこう魅惑的なんだろう。フルーツ系も捨てがたいけど、シュークリームもいいな……。

結局、悩みに悩んで季節限定のプリンとフルーツジュースを購入し、私はようやくコンビニを出た。自動ドアを抜けると、途端にじめじめした空気が肺を満たす。まだ雨が降っていないだけマシかな。

「あ、ちょっとそこのお嬢さん」

駐車場を抜けて高専方面へ歩き出したとき、聞き慣れない声に呼び止められた。振り返ると、見知らぬ男性がこちらに向かって歩いてくるところだった。

「え、えっと、私ですか?」
「そうそう、君」

その男性は私の目の前まで来て立ち止まった。歳は二十代後半、くらいだろうか。爽やかな見た目の人だった。背丈はたぶん男の人の平均身長を超えているのだろうけれど、高専のみんなに見慣れているせいで、ずいぶんと目線が近く感じてしまう。困惑する私に、彼は人の良さそうな笑みを浮かべた。

「いや、ごめんね突然話しかけて。道を教えてほしくて」
「はあ……」
「最寄りの駅ってどこかな?」
「駅ですか? それならこの道をずっと下って、」

説明しながら、私はなんとなく違和感を覚えた。この人、さっきから私の顔ばっかり見てるなあ。道がわからないという割には落ち着いているし。怪訝に思って首を傾げるが、彼は気にする素振りもない。

「あの……?」
「あー、ちょっとよく分かんないから、一緒に来てくれない?」
「は!?」

私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。私の話、聞いてなかったのかな。ここから駅までは結構な距離がある。しかもこんな時間だ。穏やかそうに見えた男性の笑顔が急に胡散臭く思えてきた。

知らない人について行っちゃいけません。子供の頃、学校で言われたことが頭を掠める。

「いや困ります……!」
「途中まででもいいから」
「わ、私、もう帰らないと」
「ねえお願い」
「ちょ、痛……っ!」

急に手首を掴まれ、背筋がぞわっと粟立った。

(まさかこれが硝子さんの言ってた変質者……!?)

へらへらしているくせに、男性は思い切り強く私の手を引いてくる。こんなの、普通の女の子だったら肩を痛めていたかもしれない。

「いい加減にしてください!」
「いいじゃん。こんな時間に一人でいるってことは、どうせ家出かなんかでしょ?」
「はあ!?」
「ちょっと駅まで行くだけだって、ね!」

男性の手がことさらに強く私の手首を握り込む。だから痛いんだってば!恐怖よりも腹立たしさが上回り、私は頭の中で体術の訓練を思い起こそうとした。こういうときは、えーとえーと……あ、だめだ、ぶん投げられたときの記憶しかな――

「あー、いたいた」

不意に背後から低い声が響いて、男性がぴたりと動きを止めた。顔だけで振り返れば、夜の暗闇から溶け出すように、黒い服に身を包んだ長身が現れた。街灯を反射して輝く丸いレンズの向こうで、挑発的な瞳がなお青白く光っている。

「え、五条せんぱ、」
「お前なにやってんの?」

なんで、と問う前に、五条先輩はその長い足であっという間に近づいてきて、私の背後に立った。突然現れたガラの悪い大男に、男性が息を呑む気配がする。そんな彼には目もくれず、先輩は尊大な態度で私を真上から見下ろした。

「コンビニ行くのにどんだけ時間かかってんだよ」
「え、えーと、すみません……?」

先輩の口調は不思議なほど普段通りだった。それからふと、まるで視界に入った小さな虫にでも気がついたかのように、私の手首を掴んだままの男性に目を向ける。サングラスから覗く瞳が、心底鬱陶しそうにきゅっと細められた。

「いつまで触ってんの?」

おもむろに伸ばした手で、五条先輩は男性の腕を容易く掴んで捻り上げた。相手は仮にも成人男性だというのに、小枝でも握り潰すような仕草だ。たまらず声を上げた男性が私の手首を解放したのを見届けると、先輩はあっさり手を離した。

「もう終電過ぎてるけど?」
「……っ、」
「つかアンタ車で来てんじゃん。駅行って何すんの?」

五条先輩は表情ひとつ変えずに、駐車場の隅を顎でしゃくった。黒い車が暗がりに潜むようにして停められている。うわ、全然気がつかなかった……。丸め込んで車に乗せてしまおうという算段だったのだろうか。人は見かけによらない。ぞっとして男性を見た私に、彼はチッと舌打ちを放った。本当に、見かけによらない。

「……くそッ、男連れなら早く言えよ!」
「え、オトコヅレ」

別に追いかけもしないのに、男性は腕をさすりながらそそくさと車に乗り込んで、そのまま物凄いスピードで走り去ってしまった。
……男連れって。私が五条先輩を連れてるみたいな言い方、それこそ腕をへし折られそうだからやめてほしい。そんなくだらないことを考えていると、今度は頭上から特大の溜息が落ちてきた。

「……お前なあ、一般人に誘拐されかけてんじゃねーよ」
「さ、されませんよさすがに!」
「どうだかな。お前とろくさいし」
「とろ……」

五条先輩に比べたら全人類がとろくさいんじゃないだろうか。しかし年上男性とはいえ非術師に簡単に拘束されてしまっては、呪術師として立つ瀬がないのは事実だ。七海にあんなこと言って出てきたのに。

「なんであんなの相手にするわけ」
「道を聞かれたので、その、困ってるのかと……」
「お前の警戒心バグってんの?」
「ていうか、終電ってもう過ぎてましたっけ……?」
「嘘に決まってんだろ」

なるほど、これが嘘も方便というやつか。得心がいって思わず唸ってしまったら、五条先輩は可哀想なものでも見るような目をこちらへ向けてきた。目だけで馬鹿にされるというのもなかなか辛い。明後日のほうを向いてやり過ごそうとしたのだが、先輩が大股で私の前に回り込んできたので叶わなかった。今度は頭から爪先まで、点検するみたいに視線が走る。

「他になんもされてねーだろうな」
「ほかに……?」

言われて、自分の顔や身体をぺたぺた触ってみた。当然ながら特に外傷はない。相手は非術師だったから呪いの心配もない。うん。

「異状なしです!」
「…………あー、いいわもう」
「えっ」

どうやら私の答えはまたトンチンカンだったみたいだ。簡潔で申し分ない返事だと思ったのだけど、先輩はいよいよ心底呆れた顔になってしまった。そのまま無言で何かをポケットから取り出し、私の頭より高い位置でぶら下げる。なんか見覚えのある携帯電話……

「あ! 私の!」
「ソファに落ちてた」
「……スミマセン……」

五条先輩の手から落下してきたそれを慌ててキャッチする。開いてみると、硝子さんと夏油先輩から何件か着信が入っていた。財布に気を取られて、携帯を忘れたことにまったく気付いていなかった。こんなところでまたポンコツを発揮してしまうなんて。不甲斐なさすぎる。

今度、首から提げるストラップでも買おうかな。子供みたいだけど。自分に失望しながら携帯をポケットにしまおうとしたら、手首が小さく痛んだ。街灯の明かりにかざしてみると少し赤くなっている。……明日から体術の稽古、もっと増やさなきゃ。ああ、やることが山積みだ。

五条先輩は自分の携帯でぽちぽちとメールを打っていた。夏油先輩に連絡しているのだろう。その横顔を眺めていたら、ふと馬鹿げたことが口をついて出た。

「先輩、もしかして心配して来てくれたんですか……?」
「……お前あんま調子乗んなよ」
「の、乗ってないです!」

ギロリと睨まれて、慌てて口を噤む。そうだったら嬉しいなって、ちょっと思っただけだ。

「全然帰って来ねーから見てこいってあいつらに言われたの」
「……すみません、ぜんぶ美味しそうで悩んじゃって、時間が、」
「やっぱとろくせえじゃんか」

はあと深い溜息をついた後、先輩は私をじっと見た。見慣れた顔のはずなのに、やっぱり五条先輩の瞳を見るとどきっとする。暗闇なんてものともしない、強い光を持った瞳。

「お前さあ、周りに遠慮しすぎ」

え、と声を漏らすと、先輩は「自覚ねーの?」と言って形の良い眉を寄せた。

「七海について来させればよかったじゃん」
「……でも、なんか申し訳ないじゃないですか」
「結局こうなるんだから一緒だろ」
「そ、それは反省しております……」
「あーゆーときは、素直に『うんお願い』って言っとけば男は満足すんの」

そういうものなのかな。考え込む私の手から、五条先輩はコンビニ袋を奪い取った。サイダーのキャップを開けて一口飲むと、さっさと背を向けて歩き出す。

五条先輩って、本当に周りのことよく見ているんだな。七海との会話を聞いてるとは思わなかった。夏油先輩たちと言い合っているだけとばかり……ん? でもちょっと待って、元はと言えば五条先輩がズルしたからでは。

「でもそれなら最初から五条先輩が来てくれればよかったのでは……」
「あぁ?」
「いえっなんでもないです……!」

こちらを向いた先輩の目が光ったので、誤魔化すために私は小走りで隣に並んだ。先輩の手にぶら下がったビニール袋がガサゴソと揺れる。それを見たらなんだかくすぐったいような気持ちになって、私は密かに頬を緩めた。

「……先輩、来てくれてありがとうございます」
「明日の昼飯おごれよ」
「えええ……」

 

 

>> 11