09

「金ロー見るからあとで集合な」

寮の共有スペースで同期たちと課題を片付けていると、任務帰りの五条先輩がやってきて何の前置きもなくそう告げた。

思わず勢いよく顔を上げる。向かいでペンを走らせていた七海の肩がびくりと跳ねた。驚かせてごめん。しかしこれは聞き捨てならない。

「金ロー、見るんですか……!?」
「しょうがないからお前も参加していいよ」
「……!!」

冷蔵庫の扉を乱暴に閉める背中に声をかければ、なんとも適当な許可が下りた。五条先輩は2リットルのペットボトルに口をつけて豪快に流し込んでいる。夏油先輩に怒られそう、と思いながら見ていると、隣から灰原が私の顔を覗き込んだ。

「ナマエ、映画好きだったんだ?」
「映画っていうか、今日放送するやつが好きで……!」
「動く城のやつ? 俺も好きだよ!」
「ほんと!?」

何を隠そう、私は魔法ファンタジーが大好きなのだ。まあ呪術も半分は魔法みたいなものかもしれないけど、やっぱりキラキラ感とかワクワク感とかが全然違う。興奮して身を乗り出した私に、灰原は人懐こい犬のような無邪気な瞳で言った。

「空から女の子が降ってくるところとか、いいよね!」
「それなんか違くない……?」

 

夕食後にみんなでテレビの前に集まったときには、私の心臓はもうドキドキだった。なにせ大勢で映画を見るなんて初めてなのだ。しかも大好きな作品。楽しみで仕方ない。そう言ったら、硝子さんはその大きな目をさらに丸くした。

「え、みんなで映画見るの初めてなの?」
「はい! 楽しみです……!」
「友達いねーのかよ」

ふんと鼻で笑ったのはもちろん五条先輩だ。ソファに腰を下ろして鷹揚な仕草で足を組んだ彼は、「カワイソウ」などとまったく感情のこもっていない声で言って私を見下ろした。人を小馬鹿にした笑みすら優雅に見えるので、顔が綺麗すぎるのも考えものだなと思う。暴君、という言葉が脳裏に浮かんだ。

先輩たちがテレビの正面のソファに陣取っているため、私はその手前の床に座っていた。少しでもいい位置で見たいからだ。つまりいまの私はさながら、玉座の傍らにひざまずく下僕のポジションである。

「い、いましたよ友達。中学のときは……」
「携帯の連絡先登録とかクソ少なそう」
「う……」

それは、まあ、少ないけれども。
ポケットから携帯を取り出してこっそり開いた私を、五条先輩はにやにやしながら見ていた。

この前の冷たい顔なんて嘘みたいに、先輩は相変わらず私をからかったりパシッたりしてくる。…それが嬉しいなんて思ってしまった私は、ちょっとどうかしているのかもしれない。でも、なんだか安心したのだ。まだここにいていいって、言われているみたいで。元気よくパシられる私を見た硝子さんは、少しだけ引いていたけど。

「ナマエ、ナマエ」

五条先輩の目から携帯を隠そうと縮こまっていたら、また上から声をかけられた。ソファの真ん中に腰掛けた夏油先輩がちょいちょいと手招きをしている。携帯をしまって向き直った私に、彼は仏様みたいな顔でにっこりと微笑んだ。

「せっかくだから場所を代わろうか?」
「えっ! いいんですか!?」
「どうぞどうぞ」

私はすかさず立ち上がった。まさかの特等席! 「は?」という顔をした五条先輩が何かを言う前に、私はさっと移動して腰を下ろした。五条先輩の隣なんて普段なら恐れ多くて絶対に座れないけれど、今日はそんなこと言っていられない。だってテレビの真正面だ。

「うわー! 見やすい!」
「テンションたけーな」
「ちゃんと見るの久しぶりで……!」
「……なんかウゼェ」

はしゃぎすぎたせいなのか、五条先輩は私の顔にぎゅむっとクッションを押し付けてきた。暴君。ひどい。

 

「じゃーん! けーん! ぽん!」

その二時間後。固く結んだ自分の拳を見つめて、私は溜息をついていた。
時刻は二十三時を少し回った頃だ。映画の余韻に浸るのもそこそこに急遽始まった『コンビニ買い出しジャンケン』にて、見事に敗北を喫したのだった。

「はい〜じゃあ五条とナマエちゃんヨロシク。私コーヒーね」
「私はサイダーにしようかな」
「コーラで!」
「……ミネラルウォーターを」

みんなであーだこーだ言いながら映画を見るのは本当に楽しかった。なんといっても感想をすぐ言い合えるっていうのがいい。ただ、主人公の魔法使いを見て「俺のほうがカッコよくね?」と言い放った五条先輩は、みんなから白い目を向けられて大層ご立腹だった。ちょっと笑ってしまったらクッションで殴られた。

そうやって楽しく映画を見終えた頃に、小腹が空いたと誰かが言い出して、先ほどのジャンケンに至ったのである。買い出し係に任命されたのは、グーを出した五条先輩と私だった。

「はあ〜〜!? 買い出しなんてコイツだけで充分だろ」

五条先輩はソファの肘掛けにぐでんともたれかかったまま、親指で私を示した。え。

「二人っていうルールだったろ。食べ物も買わないといけないし」
「ヤダ。めんどくさい」
「ズルすんなよ五条〜」
「ナマエ、俺もサイダー買ってきて」

先輩たちが言い含めても、五条先輩は頑として聞かない。だったら最初からジャンケンなんかしなければよかったのに、自分が負けるとは思っていなかったんだろうか。

五条先輩はたまにびっくりするほど子供っぽい言動をする。背は大きくて顔つきも大人びていて、めちゃくちゃに強いのに、中身はまるで小学生みたいだ。でもそれが私には少し面白くて、ついつい言うことを聞いてあげたくなってしまうのだった。これだからパシられるんだろうなあ。そう思いながらも、私はもう立ち上がろうとしている。

「いいですよ。私、行ってきます」

初夏のじめっとした気候の中を出歩くのは少し億劫だったが、どっちにしても負けたのだから仕方がない。コンビニまでは歩いて十五分くらいだし、まあ一人で平気だろう。大丈夫ですという意味で親指を立ててみせた私に、硝子さんと夏油先輩が気遣わしげな視線を向けた。

「気をつけてね、ナマエちゃん。この辺は呪霊は出ないだろうけど、変質者とかいるかもしれないから」
「ヘンシツシャ……き、気をつけます」
「何かあったら電話するんだよ、ナマエ」
「過保護かよ」

心配してくれる二人に向かって、五条先輩はオエッと舌を出した。お前が行けば済む話なんだよと一斉に突っ込まれている。そのままギャーギャーと始まった言い合いには口を挟まないことにした。

「七海は本当にミネラルウォーターでいいの?」
「ええ」
「ストイックだねえ」

先輩たちから少し離れた場所で、一人掛けのソファに腰掛けた七海に声をかける。彼は綺麗な緑の瞳をこちらへ向けると、いつもの無表情のまま短く答えた。

出会ったばかりの頃は、あまりにも無愛想なのでもしかしたら嫌われているのかと思ったものだけど、いまはこれが彼の通常モードなのだと理解している。五条先輩相手には少し眉間の皺が深くなるくらいだ。それでもこうした集まりにちゃんと顔を出すあたり、元来律儀で誠実な人なのだろう。

七海は私の顔をじっと見ていた。やっぱり違う飲み物にしたいのかな。もう一度尋ねようとしたところで、彼が口を開いた。

「……私も行きますよ」
「え? 大丈夫だよ。すぐ近くだし」
「しかし夜中に女性を一人で歩かせるのは、」
「わ、私も一応、呪術師だし!」

ね、と腕に力を込めて見せると、彼はそれ以上何も言わなかった。いくらポンコツの私だってさすがにコンビニくらい一人で行ける、と信じたい。

「ありがとね、七海。いってきます」

いまだに騒いでいる先輩たちを横目に、私は部屋から財布を取って出かけた。

 

 

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