「はぁ〜あ…」
デスクに頬杖をついて、盛大なため息を吐き出す。時刻は二十三時前。職場には私以外、誰もいない。
「私のクリスマスイブはどこ……?」
年の瀬も迫った、十二月二十四日のことである。
今日こそは早く上がって、デパートでクリスマスコフレを物色して、可愛いブーツを買って、それから硝子さんたちと飲みに行くつもりだった。そのために、昨日まで頑張って仕事を片付けてきたのだ。
だけど、呪霊にとってはこちらの事情などお構いなしだ。ようやく報告書をまとめた頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。そこから諸々の雑務を消化して、今に至る。
「……帰るか……」
緩慢な動きでデスクの上を片付け始める。散らばった筆記用具に、分厚いファイルの山。走り書きのメモ用紙。お腹空いたな。夕飯どうしよう。この時間だと、もう牛丼屋かラーメン屋しか開いてない。この満身創痍で硝子さんたちに合流する気力もない。かといって、クリスマスイブに一人で飲み屋に入る度胸もない。コンビニで済まそうか…。そんなことを、回らない頭で考えていたときだった。
「あっれー、ナマエじゃん」
突然に能天気な声が聞こえてきて、思わず肩が跳ねる。さっきまで誰もいなかったはずなのに。
振り返れば、真っ黒な服装に真っ黒なサングラスをかけた、長身の男性が立っていた。
「え、五条さん!?」
「どしたの?ひとりで残業?」
私は呆然と椅子に座ったまま、その人を仰ぎ見る。へらへらと笑いながら片手を挙げて挨拶してきたのは、長期任務で不在のはずの五条悟だった。
「なんでここに… 東北に出張だったのでは?」
「さっさと終わらせて帰ってきちゃった。あっちすげー寒いんだもん」
年甲斐もなく唇を尖らせて可愛子ぶる五条さんに、ふっと笑みが溢れてしまう。なんとなく体の力が抜けて、仕事で強張った肩もほぐれていく気がした。
彼のこういうところをみんなはウザいと言うのだけれど、私はなんだか憎めない。
「任務、お疲れ様でした」
「どーも。クリスマスに残業なんて、ナマエも災難だねえ」
五条さんは私の手元に山積みになった資料を見て、心底同情したような顔になった。この人は事務仕事、大嫌いだからなぁ。
「いえ、大した予定もないですから。もう帰りますし……」
喋りながら、中断していた片付けを再開する。
このまま誰とも会話せずにクリスマスイブが終わると思っていたから、五条さんが来てくれてよかったな。そう思ったら、この時間まで残っていたのもラッキーだったのかもしれない。
少しだけ報われた気持ちになって、頬が緩むのが自分でも分かった。
「…でも、こうして五条さんと会えたから、残業した甲斐がありました。このまま仕事漬けの悲惨なクリスマスイブになるかと思、」
「よーしわかった!」
私の軽口が終わるのを待たずに、五条さんが明るい声を上げた。その大きな体を折り畳むようにぐっと屈んで、私に目線を合わせてくる。
「じゃあいまからディナーに行こう。五条先輩が奢ってあげる。特別だよ?」
「……は、え?」
ウィンクでも飛び出しそうな顔でにんまりと笑った五条さんの口からは、代わりにとんでもない誘いが飛び出してきた。わかったって何が。いまから? 二人で?
……クリスマスイブに?
「え、あの……」
「そうと決まればさっさと出発しよう。店は僕の行きつけでいいよね? まだ開いてると思うし。あ、タクシー呼ぶね」
「え! や、あのでも、でももうこんな時間ですし、それにこんな日ですから、五条さんも予定があるんじゃ……」
「予定? ないない。僕さあクリぼっちなんだよねー、さみしいんだよー」
動揺して言い募る私に、五条さんはひらひらと手を振って否定してみせた。またあの子供のような顔をしている。この人のことだから、帰りを待つ恋人のひとりやふたり、当然いるものだと思っていたが。
妙に俗っぽい単語が、彼の軽薄さに拍車をかけている。
「クリぼっち……」
「それにさ、」
なんの前触れもなく、その大きな手が私の頭を撫でた。驚いて瞬きを繰り返すだけの私を、五条さんは面白そうに眺めている。柔らかく細められた目元に、息が止まってしまいそうだった。
「ひとりで頑張った子には、ご褒美をあげないとね」
蜂蜜のように甘い言葉を浴びて、私は完全に打ちのめされてしまった。目の前がチカチカして、どう言葉を返せばいいのかもわからないくらいには、脳も機能を停止しているようだ。
私をしかと見つめるサングラスの奥の青い双眸には、微かな熱が宿っていた。さっきまであんな掴みどころのない表情をしていたくせに、そうやって急に甘ったるい瞳と声とで私を揺るがしてくる。
繊細な、それでいて骨張った指の感触に胸がきゅうとなる。
「あ、の……」
「ね、行くだろ?」
「………はい……」
「決まり」
満足げに笑ったと思ったら、五条さんの手が離れていった。そのままスマホを取り出して、馴染みの店に席の確保の電話をしているようだ。
触れられたところがまだじんわりと熱い。鼓動が速くなっている。
気持ちを落ち着けようと密かに深呼吸を試みていると、今度はするりと右手を絡め取られた。うまく息ができない。
「――そんじゃ、クリスマス、始めようか」
私の手を引きながら不敵に微笑んだ彼は、間違いなく最強の男だった。
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お気に入りの後輩がクリぼっちというタレコミを得て秒で帰ってきた五条さんです。
Title by 天文学