てのひらにイデア5

「姉様、それはなんです?」

ベッドサイドから、小さな頭がこちらを覗き込んできた。日本から遠く離れた東欧の港町のホテルで、久方ぶりのバカンスを楽しんでいる最中である。弟の頭越しにバルコニーの大きな窓を眺めると、紺碧の海の上を渡ってゆく黒い鳥の群れが見えた。

手のひらに乗せた青い石を、よく見えるよう弟のほうへ寄せてやる。「呪いのペンダントさ」答えると、憂憂はしげしげとそれを眺めたのち、こてんと首を傾げた。

「呪力はなさそうですが」
「これ自体にはね。だからあの〝目〟でもわからなかったようだ」

五条悟の幼馴染の少女からこれを譲り受けたのは一昨日、休暇前最後の仕事の合間に、高専の書庫へ赴いたときだった。少々埃っぽいのが難点だが、あそこには暇があれば立ち寄るようにしている。こんな風に、掘り出し物に出会えることもあるのだから。

「明治初期、名のある術師が作ったと言われる呪具だよ。政略結婚で嫁いでいく主を想ってね」
「ご興味が?」
「マニアには高く売れる」

製作者本人が残した手記も見つかっている。説明ついでにヘッドボードに置いた深紅の表紙の本を手に取り、ぱらぱらと捲った。これは後世に作られた写本だが、鑑定士の話によれば、内容はほぼ本物と言って差し支えないらしい。

「ご機嫌ですね、姉様」
「それはそうさ。こんなお宝がタダで手に入ったんだからね」

あの少女はいまも、これの正体も価値も知らないままなのだろう。私も敢えて教えることはしなかった。彼女の想い人である五条悟に対して、この石がどのように作用するのか見てみたいという好奇心もあった。その結果次第で価値が跳ね上がるかと思うと、恍惚に背筋が震える思いだった。……まあ、「もう、これは必要なくなりました」とはにかんで笑った彼女を見るに、その試みは失敗に終わったようだが。

「てっきり彼女の片想いだと思っていたんだがね」
「何の話です?」
「五条くんにも案外、可愛らしいところがあるという話さ」

まさかあの五条悟が、あんな朴訥とした少女に十余年もひっそりと想いを寄せていただなんて、誰が思うだろうか。このネタだけでもきっととんでもない額の金が稼げる。

「それで、これに込められているのは一体どんな呪いなのですか?」

堪え切れず唇の隙間から笑みを漏らす私に、憂憂はねだるような目を向けた。もったいぶるなと言わんばかりの彼の頭をひと撫でし、耳元で囁いてやる。

「〝愛〟だよ」
「愛?」

着用者の呪力を贄として、その想い人に加護を授ける。あらゆる悪縁を振り払い、彼が、彼女が、真に想い合う相手といつか結ばれる加護を。――手記にはそう書いてある。
とんだ呪いではないか。美しくて笑ってしまうほどに。

「まあ、効果のほどは実のところわからない。作った張本人も実際に使う前に亡くなってしまったようだし、以来いまに至るまで、これはずっと所在不明だったからね」

そんな代物でも、好事家たちにとっては垂涎ものだというのだからもう笑いが止まらない。

「そのようなものに、彼らは金を出すのですか?」
「みんな信じたいのさ、愛ってやつを」
「愚かですね」
「面白いだろう?」
「ええ、とても」

さあ、これを売った金で、次はどこへ行こうか。

 

 

「――悟くーん、支度できたー?」
「まだー」
「ちょっ、本家に挨拶に行くのにそんなカジュアルな……!」
「自分ち帰るのに畏まって行くかよ」
「そ、そっか……あっ、テレビ消してくるの忘れちゃった! ちょっと待ってて」
「走るなよコケるから」
「はあい」

『――さて、今日の第一位は……××座のアナタ! 絶好調の一日。大好きなあの人とずっと一緒にいられそう。ラッキーアイテムは、青い石のペンダントです』

 

 


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
2022年10月16日のイベントにて、このお話をまとめた同人誌を発行しました。