12

「ぶははははは!! おま、何それダッサ! ダッッサ!!」
「こら悟。そんなに笑ったら、ぷふっ……失礼だろう」
「夏油先輩も笑いましたよね? いま笑いましたよね?」

すでにお腹を抱えて爆笑している五条先輩の隣で、夏油先輩はごめんと言いながらついに噴き出した。朝の談話室に、弾けるようなふたつの笑い声が響く。呼吸困難になるのではないかと思うほど笑い転げる先輩たちを前にして、私は複雑な気持ちで視線を落とした。

……そんなに変かなあ、これ。

「えー? 可愛いじゃん、幼稚園児みたいで」
「硝子さんが一番ひどいです……」

コーヒーを片手にキッチンから戻ってきた硝子さんが、私の胸元を見て美しく微笑んだ。子供向けのゆるキャラが描かれたネックストラップは確かに、黒い制服の上で場違いなほど明るい色彩を放っている。

「はーやべえ笑い死ぬ。お前ついに幼児になっちゃったの?」
「手元にこれしかなかったんです!」

五条先輩のにやついた目から隠すように、ぎゅっとストラップを握りしめる。

先日の教訓を生かし、私はさっそく携帯を首から提げることにした。思い立ったが吉日、善は急げというやつだ。しかしながら手持ちのストラップはあいにく、何かのおまけでもらったままクローゼットの奥に眠っていた、この一本だけだった。断じて私の趣味が幼いわけではない。

「週末はほぼ任務で埋まってますし、平日も訓練で忙しくて、買いに行く暇なくて……」
「あーっそ。まあ似合ってるしいいんじゃね?」
「さっきダサいって言いましたよね!?」
「ダサいけど似合ってるって。ダッサいけど」
「また2回も言った……!」

それはつまり、私にはダサいくらいがお似合いってことですかね。じとりと目を細めて睨み返したところで、しかし私は何も言えなくなった。だってこの人、というか先輩たちみんな、恐ろしいほど大人びて綺麗な顔をしているのだ。ハイ、もう私は幼稚園児でいいです。

「ナマエさん」

いじけた気持ちで口を噤んでいると、頭上から少し掠れた低い声が私を呼んだ。あ、ここにもいた。恐ろしく綺麗な顔の人。

「七海、おはよう」
「そろそろ行きましょう」

寮の階段を降りてきた七海は、無駄話に加わるつもりは一切ないという構えで短く言った。今日も今日とてぴしっと整えられた金髪が眩しい。緑の瞳と相まって外国のお人形みたいだ。こちらを一瞥する鋭い眼差しには、五条先輩とはまた違った伶俐な美しさがあって、思わずほうっと息をついてしまった。改めて見ると、同い年とはとても思えない。

「……私の顔に何かついていますか?」
「え! ううん、ごめん。綺麗だなあと思って」
「はあ」

慌てて首を振る私に、七海は苦虫を噛み潰したような顔で眉を顰めた。褒めたつもりだったんだけどなあ。

「あれ、君たちも任務?」

七海に促され、急いで呪具を担いでいると、夏油先輩が声をかけてきた。笑い疲れたらしくソファで怠そうに潰れている五条先輩と違って、この人は既にしれっと体裁を整えている。そういえば、先輩たちはこれからそれぞれ任務だと言っていたっけ。

「あ、違うんです。最近、毎朝七海に組手に付き合ってもらってるんですよ」
「へえ」

答えると、夏油先輩は目を丸くした。

「意外な組み合わせだな」
「私が無理やりお願いしただけなんですけど……」

ね、と水を向けても、七海はすんと澄ました顔で何も答えなかった。

七海に体術を教えてもらおうと思い立った理由は、単純に彼が武器を使って戦うからだった。私も近接戦闘では五条先輩から借りた小太刀を使うから、武器の扱い方を中心に教わろうと思っていた。

けれどなかなかどうして七海は教え上手で、いまでは武器なしの戦いも彼のおかげで幾分かマシになりつつある。灰原に訊くとバーンとかドーンとか効果音でしか教えてもらえないので、七海の理路整然とした説明はすごく助かった。頼んだときはものすごく嫌そうな顔をしていたのに、なんだかんだ律儀に付き合ってくれているし。

「七海、教えるのすごく上手いんですよ! 先生みたいです」
「そうなのか。今度私もお願いしようかな」
「……冗談はやめてください」

夏油先輩の悪戯っぽい笑顔を一蹴して、七海は踵を返した。相変わらずつれない同期である。素っ気ない声で、さっさと行きますよ、とだけ言うと、先に立って大股で歩き始めた。そんなに急がなくても、まだ時間はたっぷりあるよ。

「あ、ちょっと待ってってば――ぐえッ」
「おい」

慌ててその背中を追いかけようとしたところで、私は潰れた蛙のような声を上げてたたらを踏んだ。携帯を提げたネックストラップが思い切り後ろに引っ張られ、私の首を絞めている。こんなひどいことをする人は、私の知る限りひとりしかいない。

「っ五条先輩、死にますから!」

必死に首を捻って後ろを見たら、馬の手綱でもさばくみたいにストラップを掴んで目一杯に引いている五条先輩がいた。さっきまでソファに転がってへらへらしていたはずなのに、その形の良い鼻の頭にはくしゃりと皺が寄っている。耳がキーンとなりそうなほどのご機嫌急降下だ。一体何が。

「……昨日貸してやった漫画」
「はえ?」

唇をへの字に歪めたまま、先輩はぼそっと呟いた。漫画?確かに昨日、五条先輩から漫画を借りた。全部で十巻あって、明日の任務の後にゆっくり読もうと思っていたんだけど。

「あれ今日中に返せよ」
「え? 明日でいいって……」
「急に読みたくなった」
「でも私まだ読んでな、」
「つべこべ言うと延滞料取んぞコラ」
「……か、かえ、かえします……!」

射竦めるような視線があまりに恐ろしい。かろうじて小さく返事をすると、五条先輩はようやく手を離してくれた。携帯の重みがずしりと首に戻ってくる。ストラップより先に首が千切れるかと思った。
先輩はそれでもまだ虫の居所が悪いようで、私の顔を見下ろしてふんと鼻を鳴らすと、そのままチンピラみたいな足取りで共有スペースを出て行ってしまった。

おかしいな。今日は夜まで任務だから、返すの明日でいいって言ってくれたのに。

「五条先輩、どうしたんですかね……?」
「ああ、ナマエは気にしなくていいよ」

子供の癇癪みたいなものさ。そう言って、夏油先輩はおかしそうに肩を震わせた。

……まあ、五条先輩が気分屋なのはいつものことだしな。私はひとりで納得して、さっさと寮を出て行ってしまった七海を追いかけた。

 

「以前よりも動きが良くなりましたね」

ひとしきり鍛錬に付き合ってくれた後、息も乱さず七海が言った。私はといえば地面に仰向けになったまま、朝日を浴びてきらきらと輝く金髪を見上げている。こっちはそこらじゅう転がされてひどい有様だというのに、その額には汗ひとつ浮いていない。顔と言葉が合ってないんだけど。

「……それ、ほんとに言ってる?」
「ええ。力加減を多少誤っても死なれないくらいにはなったので、こちらとしても気が楽です」
「なるほど……?」
「褒めているんですよ」

差し伸べられた手に掴まって、ぐいと体を起こす。相変わらず遠慮とかオブラートとかいう概念が一切含まれない物言いだ。でもだからこそ、ちょっと信じてもいいような気にさせられてしまう。

制服についた砂埃をぱしぱしと叩き落としながら、確かに以前より汚れや擦り傷の数が減っていることに気がついて、自然と頬が綻んだ。できるだけ実戦に近い服装で、と思って制服で組手をしているものの、毎回砂まみれの姿で授業に出るのはさすがに気が引けていたのだ。

「でも、うん。確かにちょっとはマシになってる気がする」
「だから言ったでしょう」

少し照れくさくて誤魔化すようにへらりと笑ったら、七海も口の端を少しだけ持ち上げた。ほんと、恥を忍んで七海にお願いしてよかったなあ。

「ね、ちゃんとお礼するから、何がいいか考えといてね。あ! 七海が好きって言ってたカフェのランチでもご馳走しようか?」
「……それは大いにありがたいですが」

名案だと思って持ちかけたのだけれど、七海がぎゅっと顔を顰めたのでちょっと焦った。え、なんか失礼なこと言ったかな。

「ど、どうかした?」
「その話、五条さんの前では絶対にやめてください」
「五条先輩?」

どうしていま五条先輩が出てくるのだろう。首を傾げた私の顔を見やって、七海は口を噤んだ。エメラルド色の瞳が探るような視線を投げかけてくる。次に発するべき言葉を決めかねているようにも見えた。その証拠に、たっぷり数秒の間を置いてようやく口を開いた彼の口調は、ひどくゆっくりとしたものだった。

「……あの人は、あなたのことを自分の所有物か何かと思っている節があるので」

ぱちりと瞬きをする。うん?
面倒事には巻き込まれたくありません、と続いたその言葉の意味をまったく捉えられないまま、私はふわふわと口を動かした。

「しょゆうぶつ」
「わからないんですか?」
「パシりってこと……?」
「……はあ」

……うん、ごめん、全然わからない。所有物って、人間に対して使う言葉だっけ?
ぽかんとする私に対し、七海は大人びた目で溜息をついた。ともすれば、馬鹿なんですか、とでも言われそうだ。ちょっとみんなして私のことを子供扱いしすぎではないだろうか。

「あまりあの人のことを買い被らないほうがいい。呪術師としては優秀ですが、人として問題がありすぎます」
「……確かにちょっと、かなり、自由な人ではあるけど、普通に優しくない……?」
「…………」

この場合、沈黙は否定ととるべきだろう。深い皺が刻まれた眉間を見ながら、私は最近の五条先輩を思い返して指を折った。

「だってほら、よく漫画とかCDとか貸してくれるし、ジュース買いに行ったらお釣りの十円玉くれるし。あ、こないだはね、」
「いえもう結構です」

手のひらをこちらへ向けて遮る七海は、心底辟易したという顔をしている。うん、どうやら何かを間違ったみたいだ。

「……あなたには関係のない話だったかもしれません。忘れてください」
「ええ……?」
「ランチは灰原も誘いましょう。彼の分は私が持ちます」

心なしかくたびれた声で言って、七海は校舎の方へと歩き始めた。

その後に続きながら、口の中でもごもごと反芻してみる。所有物。いくら考えてもピンと来ない私は、やっぱり子供なんだろうか。

 

 

>> 13


こいつらには付き合ってらんねえよと思っている七海。