07

「はあ……」

泣き出しそうな空の下、私はひとり、中庭のベンチでうだうだと過ごしていた。座ったまま体を右に傾けてみたり、左に転がしてみたりしても、どうにも落ち着かない。おまけに、まるで私の心をそのまま溶かし込んだような灰色の空を眺めていたら、ますます気が滅入ってきた。

(気分転換に外に出てきたけど、意味なかったなあ……)

医務室での一件の後、私はなんとか自室に戻って、そのまま気絶するように眠った。反転術式による治療の反動もあったと思う。今朝起きたら体は妙にすっきりしていたけれど、やはり心はぼろぼろのままだった。冷え切った青い瞳を思い出すと、胸がきりきりと締め付けられた。

「あーあ……」

今日何度目かもわからない溜息を吐き出して、私はベンチの背もたれに体を預けた。そのまま頭を大きく後ろへ反らしてみる。世界が逆さまになっても、私の現状は何ひとつ変わらなかった。

「……だめだなあ、私」

何も考えたくなくなって、きつく瞼を閉じた。次に目を開けたら、違う世界になってればいいのに――……

「悟に怒られた?」

不意に声が降ってきて、私はすぐさま現実に呼び戻された。
ぱちりと目を開ければ、曇天を背負って逆さまになった夏油先輩がにこやかに私を見下ろしていた。

「夏油先輩」
「や」

頭を起こしてのそのそと端へ寄ると、夏油先輩は私の隣に静かに腰を下ろした。古い木のベンチがぎしっと悲鳴を上げる。座っていても見上げるほどの高さで、ゆるく結ばれたお団子が揺れた。

五条先輩に見慣れているけど、夏油先輩もガタイがいいんだよなあ。すごく強いし。いつだったか組手をしてもらったときのことを思い出し、私は密かに嘆息した。……先輩たちは言わずもがな、まだ一年生なのに、七海も灰原もどんどん強くなっていく。やっぱり私だけが群を抜いてポンコツなのだ。

「体はもういいのかい?」
「はい、硝子さんのおかげですっかり」
「それは良かった」

これから任務なのだろうか、夏油先輩は制服をきっちりと着込んでいた。うずまきのボタンが鈍く輝くのを見て、赤黒く染まった五条先輩の上着が脳裏をよぎった。……新しいの、ちゃんと支給してもらえただろうか。

「初任務で悟と一緒は大変だったろう」
「そんなことないですよ! ほんと私、笑っちゃうくらい役立たずで。ぜんぶ五条先輩が、……」

冗談めかして言う夏油先輩に自嘲して答えてみたものの、乾いた笑いはそのまま空気に溶けて消えてしまった。

笑えない。あんなに面倒を見てもらったのに、結局は迷惑しかかけていなかった、私。

「……五条先輩って、すごいですよね」

ぽつりと呟いた私に、夏油先輩は何も返さなかった。何を言いたいのか、もうわかっているんだろう。

「夏油先輩も、硝子さんも、七海も、灰原も……みんなすごいです」
「悟は特別製だけどね」
「……私にも、五条先輩の強さの一パーセントでもあったらよかったのに」

私は自分の手のひらを見つめた。細い刀を握るだけで精一杯の、ちっぽけな手だ。

「……そうやって誰かを認められる素直さが、ナマエのすごいところだと私は思うよ」

そう言ってくれた夏油先輩の声はひどく優しくて、私はなんだか泣きたい気持ちになった。

「すごくなんか、ないです……」

そんな風に赦さないでほしかった。弱い自分、人を羨んでばかりの自分、何も守れない自分。私が一番、私を赦せないのに。

鼻の奥がつんとして、慌てて下を向く。気づかれていないといいな。
唇を噛む私を見てふっと笑みをこぼした夏油先輩は、柔らかい口調で続けた。

「……ナマエは、まだ悟が好きかい?」
「はい……え!?」
「ああ、ごめんごめん」

あまりにも穏やかだったので、私は一瞬、何も考えずに答えてしまった。夏油先輩は朗らかに笑っている。急にそんなこと聞かないでほしい。一気に心拍数が上がってしまった。

どきどきする胸を押さえて、私は五条先輩のことを想った。けれど、いまの私からはあまりにも遠すぎて、その輪郭を思い描くことすら許されない気がした。

「……好きだなんて、おこがましいです。私、五条先輩の隣にすら並べないのに」
「でも否定はしないんだ?」
「あ、憧れの人、です……!」

途端に切長の黒い目が意地悪く弧を描く。そういう悪い顔は五条先輩にそっくりだと思う。似たもの同士、だから仲良くいられるのだろうか。

「まあ、あいつは口も態度も悪いけど、たまにいいところもあるんだよ。本当にたまに」
「それって褒めてます……?」

私が言うと、夏油先輩は声を上げて笑った。それを見ていたら、私もつられて少しだけ笑ってしまった。

「……五条先輩は、優しいですよね。とても」

決して長い時間を一緒に過ごしたわけではないけれど、そんな私にもわかる。五条先輩のいいところ、たくさん。昨日のことだってそうだ。口は悪くても、誰かを傷つけるためだけに言葉を振るう人ではないと思った。ただひたすらに揺るぎなく、まっすぐなのだ。そういう強さや真摯さに、私はいまだどうしようもなく焦がれてしまう。

「……そうだね」

ふと見上げた顔には、大切なものを慈しむような表情が浮かんでいた。この人もまた、強くて優しい。だからこそ五条先輩の隣に立つことができる。それが私にはとても羨ましかった。彼らの強さに触れるたび、自分の小ささを思い知らされて胸が痛んだ。

「なにか飲み物でも買ってこようか」
「あ、私が……」
「いいよ、座ってな」

おもむろに夏油先輩はベンチを立った。慌てて腰を浮かしかけた私を片手で制し、子供に留守番でもさせるように言いおいて、その背中はすぐに見えなくなった。

私は再び、灰色の空へ目を向ける。名前も知らない白い鳥が一羽、悠然と飛んで行った。

そうだ。私は五条悟に憧れた。あの人のように強く、自由になりたかった。自分の足でしっかりと立って、どこへでも歩いていけるような、そんな人に。

——ガタン。唐突に、大きな音とともにベンチが揺れた。夏油先輩にしては乱暴な座り方だな、と珍しく思って隣を見た私は、息を止めた。

 

 

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