04

 

「げ。お前かよ」

教室の引戸を開けて一番に聞こえてきたのは、五条先輩の落胆する声だった。私の顔を見るなり失礼な言葉を投げつけてきた彼は、自席と思しき小さな机に頬杖をついている。長い足は机の下に収まりきらずにはみ出していた。

その五条先輩と、彼を教卓から睨みつけている夜蛾先生とを交互に見ながら、私は用件を口にする。

「……あの私、夜蛾先生のとこに行くように言われて来たんですが……」
「ナマエ。まあ入れ」

夜蛾先生に促されて教室に足を踏み入れる。誰かの席に座るのも憚られて、中途半端な場所に立ったまま先生の話を待つことにした。

先ほど座学の授業が終わった後、担任の先生から任務を言い渡された。明日の朝の出発で、隣県の山間の町に派遣されるのだという。まだぺーぺーの三級術師の私は単独任務はできないので、誰かと一緒になるということは分かっていた。詳しいことは夜蛾先生から聞くようにと言われて来たのだが、この状況はつまり……

「明日の任務はこの二人で行ってもらう」

やっぱり。

五条先輩がものすごく嫌そうな顔をしているのが雰囲気だけでよくわかるので、そちらを見ないようにした。

「窓からの通報によれば、二級相当と三級相当の呪霊が複数、目撃されている。ナマエは悟のサポートをするように。まあ半分見学のようなものだな」
「センセー、それ俺だけでよくない?」

だるそうに机に突っ伏している五条先輩が、手を挙げて異議を申し立てた。私もまったく同意見だ。むしろ私がいない方がいい可能性すらある。

「後進を育てるのも呪術師の重要な任務のひとつだ」
「だからってなんで俺がぺーぺーの面倒を……」
「異論は認めん。明日の朝七時に補助監督と待ち合わせて出発するように。以上」

夜蛾先生はぴしゃりと言いつけて、そのまま教室を出て行った。五条先輩がいまにもブチギレそうな顔でこちらを見ている。そんな顔されたって私にはどうしようもない。

 

「お前、何級だっけ」
「三級です……」
「雑魚じゃん」
「面目次第もございません……」

寮へと帰る道すがら、なんとなく五条先輩と一緒に歩く流れになった。実質、私のお守り役となった先輩のご機嫌は、やはりよろしくなさそうだ。この前はあんなに優しい顔をしてくれたのに。あれは夢だったのかな。

しかし先輩にとってお荷物以外の何物でもないのは事実なので、私は縮こまるしかない。そんな私に先輩はちらっと視線を向けて、独り言のように呟いた。

「……しょうがねえな」

寮に着くと、先輩はここで待っていろと私を玄関に残して中へ入って行った。まだ私に何か用事があるのだろうか。もしかしてこのまま朝まで寮に入れてもらえないとか? 雑魚である罰として? そんな理不尽な……でも五条先輩だしな……。

そんなことをぐるぐる考えていると、5分もせずに先輩は戻ってきた。胸を撫で下ろしたのも束の間、その手に握られているものを見てぎょっとする。

なんと、刀身剥き出しの小太刀だ。

「せっ……先輩それは……!」
「あ? 呪具だけど」

先輩は事もなげに言って、その刀をひゅんと音を立てて振った。黒い制服に包まれた長身に銀色の刃はよく似合っていて、映画のワンシーンのようだった。任侠映画に出てくる怖い人だ。

「あああの、ご迷惑かけないようにがんばりますので、命だけは……っ!」
「……お前、俺をなんだと思ってんの」

てっきりそれで刺されるのかと思いきや、射殺すような目で見られただけだった。代わりに先輩はその小太刀の柄を私に差し出して、言った。

「いまから特別講義」

 

私たちはそのまま、いつぞや五条先輩に転がされた鍛錬場にやってきた。先輩から渡された小太刀を恐る恐る顔の前に持って来てみる。刃渡りは五十センチほどで、すらりとした直線の刀身が美しい日本刀だった。

「武器使ったことは?」
「ないです……というか今まで訓練でしか戦ったことなくて……」
「ぺーぺーどころか未経験かよ」
「す、すいません」

チッと忌々しげに舌打ちをする五条先輩は、そこらのチンピラより怖かった。思わず肩をすくめると、それに気が付いたのか幾分か表情を和らげてくれる。優しさの使い所がよくわからない。

「……まあいいや。早く構えて」

言われるがまま、小太刀を右手でぎゅっと握って体の前に立てる。刀は見た目よりずっと重かった。五条先輩に教えてもらいながら何回か振ってみるものの、それを見ていた先輩はみるみるうちに呆れ果てた顔になっていった。

「……お前、筋力なさすぎだろ……」
「いやこれ結構重くて!」
「そこはもっと踏み込んで、」
「こうですか!?」
「ちが、重心は前に……あーあーもうちげーよ!」

五条先輩は痺れを切らしたように自身の頭を掻き乱した。私は相変わらず小太刀をぶんぶん振り回すことしかできない。先輩に言われた通り、筋トレは毎日欠かさずやっている。それでも使いこなせないのはやっぱりセンスがないからなのか。

なんとか形にしようと試行錯誤していると、五条先輩は凄まじいため息と共に、ずんずん音が鳴りそうな足取りでこちらへ近づいてきた。
お、怒られる……! そう覚悟して私はぎゅっと目をつむる。

「……ほら、力抜けって」

そして聴こえてきた声は、私が予想していたのとは真逆の、穏やかな色をしていた。小太刀を握る私の右手に、五条先輩の大きな手が重なる。

「腕は真っ直ぐ前、肘軽く曲げて。刀の後ろに自分の体を隠すようなイメージで。左肩引く」

今度は先輩の左手が私の肩に触れて、すっと後ろに引かれる。先輩は私を背後から抱え込むようにして一緒に小太刀を握り、動きを教えてくれようとしていた。

ぼうっとしていた私は、徐々に状況を理解した。それと同時に、体温が急激に上がっていくのを感じる。

——これは、ちょっと、さすがに、近すぎるのでは。

触れ合った部分が焼けるように熱い。先輩が喋るたび、その振動が背中から流れ込んで私の体を揺らした。低い声が真上から降ってくる。そしてそれすら掻き消すくらいに大きく、自分の心臓の音が響いている。集中しなくてはと思うほど意識は違うところへ飛び散っていって、脳みそが爆発しそうだった。

「……おい、聞いてるか?」
「き、いて、ます……」

一通りの型を終えると、先輩は動きを止めて怪訝そうに私を見下ろした。聞いてます。聞きすぎて何もわからないくらいに。だからそんなにまじまじと見ないで。

「お前、顔真っ赤だけど」
「!?」

言われて、とっさに刀を握っていない方の手で自分の顔に触れる。熱でもあるんじゃないかというくらいに火照っていた。やばい、見られた。しかしもうどうしようもなくて、せめてできるだけ先輩から見えないように顔を俯ける。

「な、なんでもないです……!」
「ふうん」

早く手を離してほしいのに、先輩はなぜか動かない。そればかりか、腰を屈めて私の耳元まで顔を近づけてくる気配がした。びっくりして思わずそちらに目を向けてしまう。あ、と思ったときには、息がかかりそうなほど近くに五条先輩の顔があった。その口元が意地悪く吊り上がっていく。

「——もしかして、ヘンなコト想像しちゃった?」
「へ、……」

ヘンな、こと……って、

「ししししししてませんよ!!!」
「あーあ、ナマエってばヤラシイんだー」

一瞬、頭の中で理解が追いつかなかった私は、しかし次の瞬間にはなんとか我に帰った。先輩はぱっと手を離し、取り乱す私を見てにやにやしている。また遊ばれた……!

「ごっ五条先輩のばか!」
「ばかはお前だよバーカ」

精一杯の抗議をしてみたものの、ぺしんと額を叩かれただけだった。怖いのでやり返すことはできない。そもそも無限があるから当たらないし。

「まあこれだけ丁寧に教えてやれば、多少は様になるだろ。ひとりでやってみ」

ほらほら、と急かす先輩はもう先程のことなんてなかったかのようにケロッとしている.人の気も知らないで、本当にこの人は。

さすがの私も悔しくなってきて、とにかく先輩を唸らせるくらいのすごい動きを見せてやろうという気になった。集中するために軽く目を閉じ、深呼吸をする。小太刀を握る手に力を込めて、先輩に教わった動きを脳裏に思い描いた。

右手は真っ直ぐ、軽く肘を曲げて、左肩を引く。そして、……

……あれ、どうするんだったっけ。

 

 

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